翌日朝食を食べた後清算し、旅館を出て久しぶりに山中温泉街を歩いた。まず、山中温泉の総湯「菊の湯」に行った。ここは、1300年の歴史を持つ山中温泉の中心にあり、ここから温泉街が形成されたという発祥の地でもある。
下の写真は大正時代の「菊の湯」だが、実は私はこの総湯に最初に入ったのは、60年以上前の小学生の頃である。私の叔父に連れられ、その息子(従妹)と3人で来たもので、この総湯に入った。その後その頃この近くにあった「水無山」のスキー場に行き、ロープウェイがあったこともかすかに覚えている。
続いて、その隣にある「山中座」に入った。ここは山中温泉の名物が一同に集められたところである。ここの建物の屋根は明治神宮宝物殿と同じ神宮瓦の平葺きで、曲線の美しい優雅な外観は天平建築の男湯(菊の湯)と見事に調和しているという、
天井には、豪華な蒔絵で描かれた格天井、ケヤキで作られた欄間や扉、格子、柱など山中漆器の技術の粋を集めて作られている豪華なものである。
奥の方には立派な舞台と観客席があり、芸妓さん艶やかな舞いが披露されたり、山中節などが上演されたりするという。
芸妓の舞の際に使われる「三味線」、「小鼓」や山中節のレコード、歌詞などが展示されていた。
「山中漆器」の始まりは、安土桃山時代の天正年間(1573~1592)年で、諸国伐採の許可を持つ木地師が越前の山間部より石川県山中温泉に移住し、「轆轤挽物」の技術が伝わったのが起源だという。その後、山中に移って温泉客を相手に木地挽きを生業とした木地師たちにより、山中漆器発展の基礎が築かれた。江戸末期に木地師により考案された「加飾挽き」や「薄挽き」など高度な木地「轆轤挽き物」技術は、山中漆器の大きな特徴である。
その後、山中温泉街をぶらりと歩いた。温泉のお土産屋の他に「轆轤木地挽き体験」や「漆絵付け体験」、「陶芸体験工房」などの他に山中漆器や九谷焼のギャラリーをはじめ、カフェやお食事処などの店がある。「片岡鶴太郎工藝館」には鶴太郎の作品の展示・販売店など多くの店が並んでいる。
国内外で数々のデザイン賞を受賞してきた創業1908年の「折戸幹夫商店」で、私の一口ビール用カップと「孫の手」を買った。カップは今までの陶器のものと違って、驚きの軽さだ。
山中町生まれの「川北良造」は木工芸の「人間国宝」で、作品は挽物が中心で1枚の板から轆轤で削り出した皿や椀など丸いものが多い。近年は象嵌の技法を取り入れも取り入れているという。正倉院宝物の復元にも力を注いでいる。