重伝建 東谷地区(2)の続きで、その後、今立町の「白山神社」に行った。ここは東谷地区の今立町の鎮守として信仰されてきた神社で、白山秘め神社の分霊である白山明神か妙理大菩薩が祀られているという。鳥居前の標柱には「村社宮白山標柱」と描かれている。
境内には石造五重塔があることから神仏習合の名残が見える。また狛犬、「神殿?遷」と描かれた石造などが置かれていた。
拝殿前の扉には「梅鉢紋」が彫られ、「白山社」の扁額もかなり古そうだ。
その後、今立町集落から大土町集落へ行った。ここは、東谷地区の4つの集落の最初にできたところで、是非見るべきだと「蕎麦屋」の人が言っていた。
かっては山の中にたくさんあった炭焼き窯のある小屋で、今でも大土出身者によって伝統的な炭焼きが行われているという。
この家は、あまり修復がなされていなく、土壁や板塀の下板見張りなどがかなり傷んだままである。
集落の背後にはブナ林からの湧き水があり、冬でも凍らないという水が集落まで豊富に流れている。この湧き水を「大土生水」といい、この美味しい水を求めて、多くの人が訪れるという。
この集落の背後の山にはケヤキやブナなどの大木が分布していて、この林は「雪崩林」、「斧いらずの森」と呼ばれ、昔から伐採が禁止されたことからできたもので、地すべり地形の立地を不可分の関係にあるという。
建物の横には、石垣が連なっていて昔ながらの24枚の棚田がある。上方には「獅子父石」、「獅子母石」と呼ばれた巨岩が鎮座し、集落を見守っているという。「獅子母石」は昔、この石まで猪を追い込み捕獲したという伝説が残っているという。
棚田では、毎年田植え体験も行われている。
「大土神社」の鳥居と階段
社殿はこじんまりしていて、両側に狛犬が配置されている。
以前使われていた「大土神社」の石造の扁額とこの集落で使われている赤瓦が両側に飾られていた。
小屋の横には薪用と思われる短く切った木がたくさん置かれていた。
テントの中には薪が積まれ、テーブルやイスや炉などが置かれていたが、棚田で米や野菜作りを手伝った人が、ここで集まって楽しい飲み会などをやるのかな?