2020年7月21日火曜日

小立野3丁目界隈(1) 亀坂 線香製造所跡 鶯坂

今回は、小立野大通りの1本南西側の通りの通りを歩いた。ここは、藩政期からある古い通りである。



















この通りの入口に、「加賀友禅 うえだ」と看板がかかった立派な町家があった。



















少し歩くと緩やかな坂を下がって、また上がる所がある。ここは藩政期に戸室石を小立野台地に上げるために谷を埋めた場所であるというから400年くらい経っている。



















この谷の右側に「亀坂」の標柱がある。「加賀藩初期、この付近は深い谷であったが、戸室石をはこぶため埋めて次第に坂の勾配をゆるくした。がめ坂の名の由来は明らかでない」とあった。
























陸橋の端に階段があり下りるようになっているが、陸橋の手前側は進入禁止の標識があり、一方通行の車道となっている。陸橋の欄干はモルタル塗りの青戸室石をなぞって塗られたという。三曲がりしていて、階段と坂が入り乱れていて、いかにも古い坂であり、金沢らしい雰囲気の所である。
























坂に沿って、草むらと石垣の下の方に「天徳院」の方から「辰巳用水」の分水が流れている。



















坂の下の方は傾斜が緩くなっていて笠舞の民家がある。この辺りには湧き水もあり、昔は洗い場もあったという。
























また坂をのぼり、陸橋の反対側にも短い坂があり、そこを下りると、この辺りに藩政期から大正時代の頃まで「線香製造所」があったという。辰巳用水の流れを利用して水車を回して、県内でただ一軒だった線香を製造していたいう。1805(文化5)年の記録では、ここで製造された線香は浅野川除町の販売所を通じて売却されたという。
























この小立野3丁目の通りは、藩政期から商人の家が建ち並んでいたので、いまでも古い民家が建ち並んでいるとことである。



















風流な町家の前には木の柵の中に鉢が置かれている。



















左側の駐車場の奥に行くと眺望が開け、下の方は笠舞の住宅、そして向こう側には大乗寺山、野田山さらに奥の山々が見える。



















さらに歩くと、もう一つの坂「鶯坂」がある。この坂は新しい坂で、昔は小川が流れていたらしい。あまりに勾配がきつい階段なので通りからは分かりづらい所である。
























坂の途中に何か所か踊り場があるが、殆どが階段ばかりでクランク状になっている。両側に石垣と高いコンクリートの壁に挟まれた部分もある。
























坂の真ん中の平らな部分の横は開けていて、木々や草むらになっており、以前は鶯が飛んでいるような森だったり、小川だったと思われる面影が残っている。