現在の御所は、1331(元弘元)年に光厳天皇が、ここに即位された以後、1869(明治2)年に明治天皇が東京に遷られるまで、皇居とされた。
パンフレットに載っていたコースに従って見学した。
「新御車寄」は1915(大正4)年の大正天皇の即位に際し建てられたものである。大正以後の天皇皇后両陛下の玄関であるという。
朱色の「承明門」から「紫宸殿」を見る。
「紫宸殿」は、即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式高い正殿である。昭和天皇の即位礼もここで行われた。入母屋桧皮葺の高床式宮殿建築で、南に面して建てられている。
入母屋桧皮葺の実物模型が飾られていた。檜の皮が何重にも重ねられていた。
「清涼殿」は、平安時代に日常の生活の場としていようされていた御殿で、入母屋桧皮葺の寝殿造りである。現在のものは平安時代のものより小さくなっているが、古制に則して建てられ、主に儀式の際に使用された。元は日常の御殿であったため内部の襖などによる間仕切りが多くなっている。
ここの庭園は、木々が生い茂り、池を中心とした回遊式庭園であり、前の方は洲浜で、池の中に飛び石を置き、欅橋が架かり、対岸に樹木を配し、様々な景色を楽しむことができるという。
「御内庭」には、曲折した鑓水を流して、土橋や石橋を架けた趣向を凝らした庭で、奥に茶室を構えている。
「小御所」は、いろいろな儀式が行われ、武家との対面にも用いられた。寝殿造りと書院造りの両要素を混合した様式の建物である。1867(慶応3)年の王政復古の大号令が発せられた日の夜に「小御所会議」がここで行われたという。
この「京都御所」の周りには「京都御苑」という広大な公園になっている。明治2年に御所が東京に移るまでは、約200軒にもおよぶ公家屋敷や宮家があった。その邸宅跡は、現在玉砂利を強いた広い道に変わり、広大な芝生が人々の憩いの場になっている。