京都ドライブ(2)の続いで、次の日まず「二条城」に行った。ここは有名であるが、私は今回初めてである。 二条城は1603(慶長8)年に徳川家康が、京都御所の守護として将軍上洛の際の宿泊所として造営された。その後、三代家光が後水尾天皇の行幸に合わせて、1626(寛永3)年に改修したものだという。まず「東大手門」から入った。
「二の丸御殿」がある「唐門」前には修学旅行生などで混んでいたので、先に「本丸」を見ることにし、「本丸櫓門」を通った。
本丸は、1626(寛永3)年に三代将軍家光の命によって増築されたもので、もとは、五層の天守閣がそびえ威厳を誇っていたが、1750(寛延3)年の落雷で焼失し、またその後の大火によって本丸内の殿舎もなくした。
現在ある建物は、京都五苑内にあった旧桂宮御殿を移して、明治になって建てられたものだという。
天守跡の高台から付近の内堀などを見る。
天守跡の高台から「本丸御殿」の屋敷や「本丸庭園」を見る。
本丸にある屋敷の玄関、式台
整然とした長方形、正方形などの石垣で金沢城の石垣とは雰囲気が違う。
次に、「清流園」という江戸初期の豪商、角川了以の屋敷から、建物の一部と庭石800個を譲り受けて、これをモチーフに全国から集めた銘石300個と新たに茶室を1965(昭和40)年に完成した庭園があった。
「清流園」にある「加茂七石」を表現している。
「二の丸御殿」に入る「唐門」の前は、少し時間が経ったらかなり人が少なくなり、容易には入れるようになった。
「唐門」の上を見上げると、金ぴかの菊の御紋やきらびやかな極彩美で飾られていた。
国宝の「二の丸御殿」は、代表的な武家風書院造りで、遠侍(とおざむらい)、式台、大広間など6棟の建物が雁行型に並んでいる。建物面積は3300m²、部屋数は33、畳は800畳以上あるという。部屋の中は残念ながらカメラ禁止だったので紹介できないが、各部屋の障壁画は狩野派絵師によるもので、部屋の目的に応じて描かれている。また、欄間の彫刻、飾り金具、長押(なげし)に打たれた花熨斗型(はなのしがた)の釘隠しなどは、金飾で豪華を極めている。
特別名勝の「二の丸庭園」は昔からの造園技術に従い、池の中央に蓬莱島、その左右に鶴亀の島を配置した書院造り庭園で、小堀遠州の作と伝えられている。1626(寛永3)年、池の南側に後水尾天皇の行幸の際に改造されたといわれており、大広間、黒書院、行幸御殿の三方向から見られるように工夫されているという。
大小さまざまな石組みに表れた力強さは豪壮な城郭建築とよく調和しているという。