金沢の中心部は、藩政時代に作られた道路や用水といった町の骨組み、武士の町、町人の町の区分を残しながら、その上に現代までの市街地が積み重ねられ形成されたきた。市内のあちこちにかっての町の歴史を色濃く残す町並みが金沢の魅力となっている。
金沢市では、市内でもとりわけ歴史的な町並みが残る茶屋街(ひがし、主計)と寺院群(寺町、卯辰山麓)を「伝統的建造物群保存地区」と指定しているが、これ以外でも、裏通りを歩いていると「こんな町が残っていたのか」と思うような町が残っている。このような「歴史を感じさせるちょっとしたいいまちなみ」を「こまちなみ」と名付けて、金沢市では保存地区としている。(金沢市のパンフレットより)
今回は、「こまちなみ保存地区」となっている武士系の屋敷が残っている「里見町、水溜町界隈」を歩いた。
まず、柿木畠から里見町方向に歩いていくと、築150年という武家屋敷風の「旅館中むら」がある。昔ながらの和風の雰囲気を懐かせる店構えである。外国人観光客は、こういうところに泊まりたいと思うのであろうか?
そのすぐ先に「鞍月用水」が流れていて「あかねや橋」という藩政期からあった橋がある。この辺りに、茜屋(あかねや)理右衛門という染物師が軍用の旗や指物を染めていたことから付いたいう。
今日の「鞍月用水」は水の量が多く流れていると思ったが、それでも最近は水の量が減ったと聞いた。
その先を左に曲がると「里見町」の細い通りである。
通りの左手に、古そうな佇まい家の前に「染」のマークに「加賀友禅 奥田」と書かれた茶色の暖簾が掛かっていた。(藩政期の長屋門を改修したらしい)
その隣の屋敷の前に「里見町」の標柱があり、「加賀藩士、禄高1200石の里見氏の屋敷があったことから、この名は付いた。享保のころまでは、竪町・竪町後丁と呼ばれていた」と刻まれていた。
この屋敷は「中西家」の住宅で、「建築時期が昭和初期の建物であるが、入母屋の屋根形式など、かっての武家屋敷に匹敵する格式高い姿を示すとともに、武家に準じた堅固な門および塀を巡らして、その中にゆったりとした前庭および土蔵を備えている」と看板に記されていた。
門の屋根の下にも格子が付いていた。
その斜め向かいにも、大きな屋根を持った「アズマダチ」の屋敷が2軒並んでいて古そうだ。門や塀は新しく改装されていた。
門の隙間から前庭をのぞくと、たいへん大きな灯篭が見えた。
里見町から竪町方向の通り屋根下に欄間のように彫刻された門を持ち、きれいに改修された土塀を持った武家屋敷風の家もあった。
竪町商店街に入り、「金沢アートの新名所」としてプロジェクトマッピングを見せるカフェ店があったが、最近はこういう店もあるのかと思った。