寺町台地と犀川沿い(1)の続きで、「桜坂河岸緑地」から上流に向かって歩くとすぐに「清川地蔵尊」があり、そこには中央に弘法大師をはさんで、左側に5体、右側に9体の地蔵が安置されている。大小さまざまさまざまだが、錫杖は4体で他は手を合掌に組んでいる。
伏見寺より伝来したという不動尊や観音像、他に百度石、亀石、犀川の句碑などがある。
急な階段を上ると「桜坂」に出る。
また、そのすぐ近くに「北陸近代文学発祥の地 選定の記」という説明書きが石垣に埋め込まれていた。尾山篤二郎や室尾犀星、表樟影ら数人の文学者と「北辰詩社」などを結成し、この上の「旧桜畠」のほうにたまり場があったことから、この地を発祥の地としたということらしい。
その横の茂みをかき分けると、篤二郎の遺族や、結社「鶴林」、文学館と協力して、初代の文学館館長の「新保千代子」さんが代表となって建立した尾山篤二郎の歌碑があった。
少し歩くと、犀川沿いには3階、その後ろの崖に5階ある高い建物で「金沢の宿 由屋るる犀々」という宿屋がある。あまりに大きいので、道の前からは全体を写すことができなかった。玄関には電気自動車用の充電スタンドが装備されていた。将来的に電気自動車が増えるだろうと見込んでつけたのだろうが、まだあまり利用されていないという。
ここのフロントでこの宿のことをいろいろ聞いた。片町の繁華街や兼六園にも近く、歩いて行ける距離だという。しかし、この辺は繁華街の近くにありながらたいへん静かでのんびり過ごせるという。部屋からは犀川や遠くの戸室、医王山などが眺められる絶景の場所である。
客室は15室で、建物の大きさの割に少ないが、これは1室に居間(10畳以上)と寝室(10畳以上)の大きな部屋が二つづつあるからという。「秋声」(群青の間)や「藤五郎」(土蔵造りのコンセプトの間)など金沢の趣を凝らした部屋、シニア向きのバリアフリーの部屋、子供家族の部屋など、どれも和風建築に快適性をプラスしてゆとりある部屋だという。
「由屋るる犀々」のパンフレットより
そして、食事は金沢の四季にに合わせた日本海の幸や加賀料理が出てくるという。部屋食でなく1階の「お食事処」で食べることになっている。個室もある。
よく知られた駅前のホテルやビジネスホテルと違って、温泉宿と同じようにのんびり観光をし、ゆっくり食事をして泊まる人にはうってつけだ。こういう趣向の人も多くいるはずだ。
1週間や2週間くらいの滞在型で、のんびり観光できて、食事はたまに地元の御馳走があるが普段食べるようなもので宿泊費用を抑えたものがあってもいいのではと思う。
また少し歩くと、ウィンドーに水引で作った洒落た兜のオブジェが飾ってあったギャラリー「自遊花人」という店があった。
この店に入ると、すぐに店の人が出てきていろいろ説明してくれた。金沢では「津田水引店」が有名で、伝統的な方法で作っているが、ここはそれと違うと言っていた。
芯に強い紙を縒った上に色がついたシルクの糸を巻き付けた紐でいろいろな形状を立体的に作るものであるが、見た目にきれいであることもさることながら非常に丈夫であるという。
店の人はアクセサリーとして衣類につけてあって、洗濯機に入れて洗ってしまったが、何ともなかったという。また、踏みつけてもいくらか形状は変わるが、ちょっと手で直すとすぐに元の形になるという。
店内には、かばんに水引の模様を付けたもの、壁にかけるインテリアとして、いろいろな色の水引を付けた簾、あるいは和紙の上に朱色の水引で模様を付けた明かりなどが飾ってあった。周りの照明を消してこの明かりを付けてもらったら、いつもの雰囲気と違った異様な趣を醸しだしていた。