寺町台地と犀川沿い(2)の続きで、さらに上流の方向に歩くとレンガ風の洒落た建物があった。ここは「フォーリーフ金沢・清川」という「サービス付き高齢者向け住宅」で、こういう景色のよい、静かな所で暮らすのもよいと思うが、まだもう少し世話にはなりたくない。これからは,高齢者が増え、更にこのような施設が多くなってくると思うが、あと5~10年後はどうなっているのだろうか。
さらに歩くと、シックな近代和風住宅の典型的な家があった。雪吊された木に白い梅の花が咲いていた。そういえば今日(3月15日)から兼六園の雪吊の取り外す作業が始まった。園内で最初に取り外すのは「明治記念の標」の横にある「手向けの松」で、最後に取り外すのは、園内随一の枝ぶりを誇る「唐崎の松」だ。
この付近から見る犀川の「下菊橋」、戸室山そしてまだ白く雪の被った医王山が見え、素晴らしい眺めである。
下菊橋の前の角に緑地があったが、そこにピンクのきれいな梅が咲いていた。
この緑地を右に曲がると「長良坂」という坂がある。昭和54年に「下菊橋」ができる前は、小立野と寺町台を結ぶ重要なルートだったが、今は「こんな所に坂があったのか」と思うほど影が薄くなり、歩行者専用の坂になり、閉静な生活路に生まれ変わったという。
坂の上り口に「長良坂」の石柱と料亭「金茶寮」の看板がある。「旧長良町へ上がる坂なのでこの名がついた」と刻まれている。この辺りには長柄槍の足軽が住んでいたから、長良は長柄が転じたものではないかともいわれている。
延長188m、高低差15.4m、平均斜度5度、最大斜度8度で、スロープと石段が併用され手摺もある。
長良坂の下の方向から「金茶寮」に入り、階段を上った。
ここは、昭和8年に元加賀八家だった横山男爵が建てた別邸を譲り受けて創業したという。40mの斜面を利用した1000坪の庭園の中にそれぞれ趣の異なった5つの離れは点在しているという。中でも「御亭」は江戸時代末期の建てられたもので、今では珍しい楓でふかれた天井、栗の木に細かい細工をした手すりなど当時の粋を凝らした建築技術が窺い知れるという。
加賀料理に京都の粋を取り入れた洗練された味わいのある料理で地元の旬の食材をふんだんに使い、見た目にも楽しむことができる盛り付けや九谷焼、大樋焼、輪島塗などの器を使い、料理を引き立てているという。
ちょっと敷居が高そうで、私はまだ入ったことないが機会があれば入りたいものである。
皇室、歴代首相らが泊まった由緒ある宿で、創業以来「一客一亭」をモットーとしている。玄関や古めかしい趣のある建物、庭などを見ると、明治、大正のころに尾小屋鉱山の開発と経営でいかに大きな富を得てたかが窺い知れる。
「金茶寮」の隣にはここも横山家の別邸であった「辻家庭園」があるが、ここは以前にこのブログでも紹介している。
http://kanazawa-burari.blogspot.jp/2013/12/blog-post_22.html