此花町、笠市町付近(2)の続きで、三つ目の道は「旧象眼町」の標柱が建っている。「藩政時代、地子町のひとつで、象嵌師が住んでいたことからその名が付いた。『ずがねまち』とも『ぞうがんまち』ともいった」と記されていた。この道の両側にも古い家が並んでいた。
この道の中ほどに用水が流れていた。この用水は現在は「高岡町排水路」となっているが、藩政期の地図にも載っていて、西外惣構堀からの分水で「堀川町」方面に流れ、浅野川に注いでいた。
さらに別院通りの端まで行くと横安江町商店街(金沢表参道)の裏にたどり着くが、そこは数本の道が分かれている。
ここから右方面の道を歩くとすぐに割烹「山さん」笠市店があったが、近江町市場の「市姫口」にある本店は、早朝から長い行列ができるほど人気の店だが、ここはひっそりしていた。
少し歩くと右側に、珍しく間口が広い町屋の「室谷製麺」という店があった。ここのウィンドーに袋に入った蕎麦とともに九谷焼の獅子が並べられていた。袖壁、腕木があり、1階の屋根と古格子の間にきれいな細かい模様が入っていた。「室谷」の表札もすばらしかった。
ここから真っ直ぐ歩くと、道の突き当たりに「笠市通り」に出るが、すぐ前に「網善商店」という魚網を売っている店がある。昔はこの辺りに多くの魚網を売っている店があったが、「今は内だけが残っている」とここの奥さんらしい人が出てきて言っていた。藩政期に舟から荷を降ろす「堀川揚場」がすぐ近くにあり、浅野川から海に出る魚船が通っていたので、ここに魚網を売る店が多くあったという。「内は明治の初めからこの商売をやっていて、中の部屋には昔のままのものがたくさん残っているが、現在も普通に住んでいるので見せることはできない」と言っていた。
この店の斜め向かいの角に、今は既にやっていないようであるが「天狗牛肉」の看板が掛かった中田笠市店の古めかしい建物があった。ここはその以前は銀行であったと「網善商店」の人が言っていた。そういえば2階の黒っぽい建物の外観からそのようにも思える。
この通りを小橋方向に歩くと、郵便局の向かいにやはり大きな町屋の建物の「紙谷魚網店」の看板が掲げられている。ここは現在も店はやっているのかよくわからなかった。建物は袖壁はないが、大小二つの腕木により2階屋根の軒下が長く出ている。1階の屋根は2重庇になっており、そして2階の高さも結構ある。大正時代に造られた町屋であろうか?
この通りは藩政期の古地図にも載っているが、浅野川沿いの道と合流し、「小橋」辺りまで続いる。昭和30年代ごろには、もっと多く店が開いていたように記憶しているが、まだまだ町屋が残っているのでは。