兵庫県の城巡りと北関西ドライブ(2)姫路城の続きで、天守の最上階から降りる途中の階に鉄製の重厚な扉があり、脇の窓からどこにいっているのか見てみると小天守の方に繋がっていた。
この後、一番下まで降り石垣の中になるという地階に行った。
ここには、長期の籠城戦に備えて生活に必要な設備の「流し」(台所)や「厠」(便所)なども備えられていた。どんな便所だったのか中を見たかったが、残念ながら見れなかった。
天守を出て備前丸広場からは間近に大天守、小天守が見え、すばらしい眺めである。
ここの石垣は「打ち込みハギ」で黒っぽい色、茶色っぽい色などがあり、いろいろな形状の細かい石が多く、金沢城には見られない石垣である。
備前丸への出入り口を守る備前門は、扉が堅牢な鉄板張りになっている。続き櫓が付いていて、脇戸付櫓門である。門のすぐ脇にある大きな石は古墳から運び出したとされる石棺の転用石を利用したものであるという。
二の丸広場には、落語や浄瑠璃の題材として有名な「播州皿屋敷」の伝説が残るという「お菊井戸」があった。
平成の大改修では天守の最上階に新しい鯱瓦を新調したが、そのときの予備で焼いたものと昭和、明治時代の鯱瓦が展示されていた。僅かながら顔形その他が違っていた。
りの渡一渡櫓と二渡櫓は三国堀との境目に設けられた上山里曲輪を防衛するための櫓群という。
りの二渡櫓は一方が石垣になっていて一見は一層のように見えるが、実際は二階建てという。
この辺の石垣をよく見たら、「打込みハギ」であるが、長方形や正方形の石垣が斜めに入っているものが多く、また三角形の石垣も使われていて、金沢城では見られな積み方である。
「ぬの門」は鉄板張りの扉で、一階は鉄格子窓、2階は出格子窓の付いた豪華に装飾された渡櫓門である。この辺の石垣も珍しい形状のものがあった。
上山里下段石垣は、1580(天正8)年ごろに羽柴秀吉が築城の際に築かれたもので秀吉が最も頼りとする重臣で、地域の事情に精通している黒田管兵衛に普請を命じていることから「管兵衛ゆかりの石垣」と考えられるという。
姫路城に入ったのが遅かったので、結局「西の丸」の櫓群は見ることができなく残念でした。
帰りに大手門を出ると薄暗くなってきて、お堀と石垣の風景は夕暮れ時になった。
天守のほうを振り返ると、もうライトアップがされていた。さらに辺りが暗くなるともっときれいに見えるのだろう。