兵庫県の城巡りと北関西ドライブ(5) 竹田城①の続きで
南千畳から本丸方向を見る。
南千畳から竹田の町や丹波・但馬の街道などが見下ろせる。この丹波街道と但馬街道が交わる交通の要衝だったので、敵が攻めてきた時にすぐに対応できるように竹田城から見張っていたのではという。
竹田城から下りるとき、城を見上げると雄大さが感じられた。この付近には、山肌を崩して出てきた石を運んで石垣に利用したという石取場の後いくつか残っているという。
天下統一を目指した織田信長や豊臣秀吉にとって竹田城は播但地方の勢力を抑えるためだけでなく、近くにあった生野銀山を支配する拠点として重要であったという。生野銀山は1200年以上の歴史を持っていて、江戸時代は幕府直轄、明治時代は政府直轄の鉱山であった。
またシャトルバスで下に降りると、竹田駅前付近にはJRの線路に沿って真っ直ぐの旧街道があり、古い町並みが続いていた。以前は旅館、料理屋、茶屋などの商店が並べ、家具や多くあったという。今は、竹田特産の家具の店と漆器、仏壇屋以外は無くなってしまったという。
明治時代の、「旧木村酒造場」の建物には屋根に袖うだつが付いており、切妻造りで窓は「虫籠窓」(むしこ)を配していた。
この町屋の中をのぞくと、店の板の間と広い畳の部屋があり、天井が高く、部屋の廻りには2階と同じ高さに通路が付いており、2階の部屋からは下の様子が見られように、土壁に丸い面白い開口部があった。
この明治初期の造り酒屋を改修し、「たけだ城下町交流館」として宿泊施設、レストラン、カフェなどに利用されている。この建物群を考えるといかに大きい造り酒屋であったかが分かる。
その横にある「山城の郷」の情報館には竹田城の歴史などを紹介する映像やジオラマなどが見学できる。
お土産屋には、地元特産の但馬牛や日本3大ネギ「岩津ネギ」を使った手作りの商品や「天空の城」という地元銘柄のお酒などが並んでいた。