北陸新幹線開業の1週間前の3月7日(土)に金沢城の「玉泉院丸庭園」とともに「橋爪門の二の門」の完成式が行われ、その後、一般公開されるということでで見に行った。この橋爪門は三の丸広場の前に既に建っている「菱櫓」、「五十間長屋」、「橋爪門続櫓」や「橋爪門の一の門」に並んで、新幹線開通に合わせて、今回新たに復元された。これで「石川門」、「河北門」と「金沢城三御門」がそろったことになる。
午前中に「橋爪門」の完成式が三の丸広場で約200人が出席して行われ、谷本石川県知事の「開門」の号令に合わせて太鼓が鳴って、大きな扉が開かれると、まるで藩政期の雰囲気がよみがえったようだった。
「金沢城三御門」」の中で、この「橋爪門」が一番格式が高いとされている。
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この門の脇には「番所」があり、見張りの者がいた。藩主が居られる「二の丸御殿」に入る最後の門なので、厳重に見張っていたことだろう。中に畳が敷かれ、その横に門の二階櫓に上がるための急勾配の階段も備えられていた。
門の中の天井を見ると太い大きな木(県産の能登ヒバか?)が何本も組まれ、床は戸室石が敷きつめられ、伝統的な職人技で作られていることに感嘆した。
また、重厚な大扉には、木の表面に「オッパイ形」の釘隠しなどの付いた威厳のある模様の黒い薄い鉄板が張り巡らされ、補強と飾りの役目をしている。
「橋爪門」は高麗(こうらい)門形式の「一の門」、石垣と二重塀で囲われた「枡形」、櫓門形式の「二の門」からなる「枡形」で、城内で一番大きい門という。
「一の門」と「二の門」の間は「太鼓塀」すなわち内側と外側の塀の間は中空になっていて、小石などが詰められている。鉄砲の玉が当たって塀に穴が空いても小石によって穴がふさがれるという。
「一の門」の前には、木の反橋の「橋爪橋」がある。「石川門」や「河北門」と同じで「一の門」に入ってから「二の門」は直角に入るようになっている。
「橋爪門」、「橋爪橋」の背後には「橋爪門続櫓」があり、三層の物見櫓で三の丸で戦闘が起きた時の指揮所である。
加賀藩の重臣などが登城するとき、重臣は家来を数人お供に連れてくるが、「橋爪門」から二の丸へ入れるのは2,3人だけで、他の家来は三の丸で待つことになるという。
「橋爪門」は、明治初期の写真、絵図、平面図、立面図などを基に再現された。
金沢城公園にある「菱櫓」、「五十間長屋」や「橋爪門続櫓」は、平成13(2001)年に復元され、できてまもない頃に中に入ったが、それ以来入っていないので、もう一度入って「匠の技」をゆっくり見たいと思っている。この建物は、明治以降の城郭木造城郭としては全国最大規模であるという。