今回は、金沢まち博2014で「大野庄用水巡り」に参加した。
散歩に先立って、長町研修館で「金沢、名古屋、江戸の用水」について説明を受けた。説明してくれたのは私が2年前のまち博で「大清水から勘太郎川巡り」をした時と同じ、笹倉信行先生です。
先生は、現在「川、街道から見たまち研究会」(東京都)の代表をなされているという。相変わらず写真や絵を取り入れた資料を映し出しながら、流暢な説明をしていただきよく理解できた。
講義の後、外に出て「御荷川橋」の用水の流れを見て、鬼川(御荷川または大野庄用水)の守護神である「養知院」を見ながら説明を受けた。ここは3代利常の時代に、真宗以外の寺は寺町台地に移されたが、ここだけは断固反対して残ったという。
続いて、犀川大橋の少し下流の右岸にある取水口を見に行った。ここに大きな水門があり、昔はここから多量の水を取り入れて、町中から田んぼを抜け海まで流れている。(現在は、桜橋付近から取水している)
多量に取り入れた水は一定量以上大野庄用水に流れないように、犀川に戻すため放水しているが、この日はその放水しているのを見ることができた。
取り入れ口から御荷川橋辺りまでは勾配がきつく流れが非常に早くなっているが、「旧古寺町」辺りにある古い橋に「○○典記念 大野庄用水 大正四年」と刻まれていた。
長町武家屋敷辺りには用水の水を屋敷に引き入れ、庭に曲水として使われ、また用水に戻す口が見られた。
中央小学校付近で鞍月用水と最も近くなって、ここから長土塀、芳斉にかけて用水は道のそばになったり、離れたりしながら流れている。家の前には車がは入れるような一軒一軒新しい橋がかけられていたが、途中に人一人が通れそうな古そうな狭い石橋も見えた。
昭和通を渡ると「三社どんど」と呼ばれる大きな水門がある。これは三つの水門を閉じたり開いたりすることによって水位を上下させて船荷の積み下ろしを容易にさせるしくみのもので、先生の講座では動画の絵で説明してくれたので理解しやすかった。
その先に広い用水部分があったが、ここが江戸時代の「木揚場」であったという。この付近は、いろいろな店や遊郭まであって非常に賑っていたという。
ここで揚げられた材木が材木商や木挽などが住んでいた「安江木町」や「木の新保町」に運ばれたという。(現在の安江町、本町、玉川町、芳斉町など)
江戸時代の初期までは長町まで運ばれ、木倉町の蔵に木材が保管された。その後は流れの穏やかなここで揚げられたという。
その後は、勾配が非常に緩やかな木曳川と樋俣用水に別れ宮腰に流れていく。
長町辺りの大野庄用水は何度も見ているが、その前後は初めてだったのでいろいろ面白いことを知れた散歩でした。
より大きな地図で 大野庄用水 を表示