2022年9月18日日曜日

長町武家屋敷跡 野村家(2)

 長町武家屋敷跡 野村家(1)の続きで、続いて上段の間、付書院から眺める見事な庭園には、古木や庭石が奥ゆかしく配され、観光ブック「ミシュラングリーンガイド・ジャポン」で2つ星を獲得したことがある。

庭の広さが300mで、落差が2mの滝を境に上下2段に分かれており、上の部分を「上段の池」、下の部分が「下段の池」といわれる。園内には12基の様々な灯篭は設置されている。多宝塔、西乃屋形、様々な春日灯篭などがある。



















こちらは上段の池


















下段の池がある部分は、藩政期のままの形を残している。曲水は庭に設置された取り入れ口から大野庄用水の水を取り入れている。中央の「大雪見灯篭」は、高さが6尺(約1.8m)で、毎年11月上旬に入ると雨や雪で石が割れるのを防ぐために薦が掛けられ趣がある。


















右端に見える「大架け橋」は、長さが3m、幅80cmの大きな橋で桜御影石でできている。


















藩主利家と同じ尾張への郷愁から植えられた北陸には生育しないという樹齢400年以上といわれるヤマモモや、濡れ縁からひときわ大きく見えるスダジイも400年以上という。


















2階には茶室「不獏庵」は4畳半の広さで、天井には欅の1枚板を使用している。窓から見える庭の景色を見ながら抹茶を味わうことができる。
































下図は「聲桶」(こうけい)という鶯の鳥籠を桐箱に入れて、鳴き声を響き鳴かせる風情を楽しみむものだという。
























銭谷興右門を父とする黒本稼働は、時の漢学者藤田維正の門について和漢の書を学び、野村家周辺に在住したという。そしてその書庫を「鬼川文庫」と呼んでいた。その「鬼川文庫」には、野村家伝来の刀剣や前田家、明智光秀、朝倉義景などからの書状などが展示されている。



















天正14年の全国勢力絵図


















幕末の頃の前田家と野村家の歴史年表