長町武家屋敷跡 野村家はこの近くを何回も通っているが、野村家の中を短時間でしか見たことがなかったので、今回は少しゆっくり見てきた。
野村家は、前田利家が金沢に入城した際に、直臣として従った野村伝兵衛信貞は禄高1200石で,10代に渡って御馬廻組組頭や各奉行を歴任し、1000坪余りの屋敷を排し、明治4年の廃藩まで続いた由緒ある家柄である。
武家制度の解体で、辺りの多くは菜園となったが、幸い門、土塀などは従来のままの姿を残していたものの、大正初期の窮乏でさらに土地を分割されて、現在の住宅街に変貌したという。安政期の古地図で見ると、野村家は2の橋と3の橋の間に渡っていたので、現在よりも広かった。
現在の野村邸は、一部が当時のままを残す庭園と建物は加賀の豪商・久保伝兵衛が大聖寺藩主を招くために1843(天保14)年に建てた豪邸に一部を、昭和初期に移築したものである。この建物は現在加賀市に「蘇流館」として移築されている。久保伝兵衛は藩政期に北前船による交易で財を成した橋立の豪商である。
中に入ると「奥の間」から「控えの間」、「謁見の間」、「仏間」と続く。透かし彫りの欄間
やすばらしい襖が見える。