2022年3月14日月曜日

金沢蓄音器館(1)

今回は、尾張町にある「 金沢蓄音器館」に久しぶりに行ってきた。ここはレンガ風の建物で、向かいにある昭和初期の近代建築で有名な「三田商店」と同じで、角に玄関がある洒落た建物である。




















ここには、蓄音機が600台やLPレコード約3万枚を所蔵していて、普段は150台展示しているという。初代館長の八日市屋浩志さんが、戦前から蓄音機店を営んでいた。1975年ごろ捨てられた手回し式の蓄音機を見て、心を痛めて集めて直したのが始まりで、その後に次々と集めるうちに蓄音機が540台、レコードが2万枚になり、それらを市に提供し2001年に金沢蓄音器館が開館したという。「蓄音」をわざわざ「蓄音」にしたのは、蓄音機を単なる機械でなく、楽器あるいは工芸とみなす、創立者八日市屋浩志のこだわりだろうという。



















あの発明王の「エジソン」が蓄音機を発明したのは、1877(明治10)年のことである。その頃、日本では「西南戦争」があった時である。エジソンが自分の朗読「メリーさんが子羊を飼っていた」を吹き込んだのが始まりで生まれたという。












音の出る仕組みをわかりやすく描かれていた。











ターンテーブルを回すのに、電気のない時代は「ゼンマイ」を使っていた。私らの子供時代の動く玩具はほとんど「ゼンマイ」式だったろう。あのねじを回して「ゼンマイ」のエネルギーを蓄えてから動かしていたのが懐かしく思う。

























これは、針の動きを空気振動に替える「振動板」で、「雲母製」や「ジュラルミン製」などいくつか材質のものが展示されていた。



















最近は見られなくなったが、「ビクター」のこのちょっと首をかたげた犬のマスコットは、あちこちでよく見かけたものだ。











1930(昭和5)年、アメリカ「コロンビア」製の卓上型蓄音機

























蓄音機の王様と呼ばれるる、アメリカビクターの1925年頃に発売した「ビクトローラ・クレデンサ」は非常に高価で飾りがついた棚のように、中に大型のスピーカが入っていて音質がよく、オーケストラ演奏にぴったりだった。
























蓄音機の音を響かせるラッパは、必ずしもトランぺット型でなくても様々な形状のラッパが考案され、機能と美しさを兼ね備えた朝顔形ラッパが主流となった。材質も金属や木製、紙製などがあり、材質の違いによる音色が比べらるようになっている。