2021年12月17日金曜日

手取ジオパーク巡り(7)美川

 美川の町は、手取川扇状地の扇端に当たる、海と隣接する場所に築かれた街である。江戸中期から明治時代には日本から瀬戸内海を通って北海道と京都・堺を結ぶの北前船の寄港地として発展し、北前交易で財を成した船主達によって、美川は大いに栄えたという。



















「石川」という県名は、明治5年に美川に県庁が移ってきた際に「石川郡」という郡名をとって命名したといわれている。そして郡名「石川」は「河口まで石がゴロゴロしている」ことが由来。つまり石川県の名前の由来は手取川ということである。










美川は「砂丘の町」と言われてるが、これらの形成にはいくつかの条件があるという。まず一番は、手取川が運んできた砂がたまって砂浜を作り、その砂浜の砂が風で舞い上がってできた砂丘である。とくに美川の海は遠浅で、強い季節風が砂を噴き上げてできたものだという。















また、美川に大きな砂丘ができた理由は、砂粒の大きさが大きいという。安原、内灘、千里浜の砂に比べて大きいことがわかる。これは手取川から運ばれた砂のうち、粒の細かいものは内灘や千里浜へ運ばれている。

























それで美川の町には坂が多い。



















美川は「伏流水」が多い町として知られている。白山から、しばらく急流だった手取川は、扇状地の扇頂にあたる鶴来エリアでしばらく流れが穏やかに変えて海に向かう。その一部は地下水となって潜行し、河口付近で再び湧水となって現れる。
そこで美川には、伏流水が自然に湧き出す場所が多くあり、古くから地域住民に親しまれているという。こちらの伏流水群は「平成の名水百選」にも選ばれている。ここの湧水場のひとつとして「お台場の水」がある。
























パイプから出た水は「田」の形に仕切られたコンクリート製の枠に流れていき、以前は近所の人が野菜や衣類を洗っていた。上流側が食材用で、下流側が洗濯物の汚れを落とすところと向かいはルールが決まっていたという。



















こちらは「大浜の水」で、休日にはペットボトルを何本も持ってきた人たちの順番待ちができるほど汲みに来る人が多いという。



















石川県でのみ生産が許されているという「フグの糠漬け」は大部分が美川産である。この伝統食を支えるのが、豊富な白山の伏流水である。



















フグの卵巣は青酸カリを上回る猛毒がるが、これを無能化するメカニズムは分かっていなく「奇跡の食品」といわれる。卵巣を3年間塩漬けや麴付けなどをした後に、イワシの魚醤と塩、伏流水で作った「さし汁」を毎日のように祖師で味を付け、腐敗を防ぐ。これらで毒性はなくなるという。さし水だけでも1日30~40リットルで、さらにフグをさばいたときに内臓を洗い流すのも伏流水で治療に使う。この伏流水がなかったら美川で「フグの糠漬け」はなかったという。