手取ジオパーク巡り(3)七か用水 ①の続きで、さらに「七か用水」に関して紹介する。
「白山頭首工」より取り入れた水は、農業用水だけでなく発電にも使われている。下図は鶴来発電所
水の落ちる力で水車を回し水車の回転の力が発電機を動かし電気を起こす水力発電は、今話題の二酸化炭素を排出しないクーリンエネルギーである。こういう水力発電所をどんどん建ててもらいたいものである。
小学校のころから覚えている有名な「枝権兵衛」は、江戸時代末期の生まれで、45歳で村肝煎(村の代表者)になり、その後富樫用水の責任者となった。権兵衛は、日照りでも水が枯れることのない安久涛の渕から、用水の水を取り入れることを計画、難工事への批判や賃金不足で事業を頓挫しそうになるが、私財をなげうって完成にこぎつけたという「七か用水の父」と呼ばれている。
「旧一の宮駅」の裏に「七か用水」事業の一環として公園が整備されていて、そこに「枝権兵衛」が堀った五つの取入口が案内板に表示されていた。
この下に第三取入口があるところである。
隧道のノミの痕で、辰巳用水の隧道内を思い出す。
手取川からの水の取入れが思うようにいかなかったのを枝権兵衛の提案を受け入れた加賀藩の産物方の小川良左衛門が受け入れ、安久涛が渕の岩盤を掘る事業が行われた。工事は困難を極めたが、小川氏は藩銭を枝権兵衛は私財をなげうって完成させた。(明治2年)その恩恵を受けた人々が感謝の意を込めて大正15年に紀功碑を建てた。