金石界隈(6)大野湊神社 秋葉神社 妙覚寺の続きで、その後「専長寺」に行った。山門は、軸部が一間一戸控え柱付き棟門で、屋根は側面に唐破風をもつ平唐門であるで市内では珍しい。桟瓦葺きせ赤褐色の瓦だが、痕跡から当初はこけら葺きで、建築年代は江戸後期と推定されている。
「専長寺」は、真宗大谷派の寺院で、開基は平家の末裔・波佐場次郎衛門賢周が、戸水村に無量寿寺を起こし、1465(寛正6)年、宮腰に移り仲之道場と称したことにはじまる。1472(文明4)年に本願寺八世蓮如上人より「法運専ら長久なるべし」として「専長寺」の寺号を賜った。たびたび類焼したが、加賀八家の横山家の浜屋敷を譲り受けて仮本堂とし、1795(寛政9)年隣地に本堂を再建し、現在に至っている。座敷と庭は横山家所有当時のものだという。本堂の屋根は緩やかな勾配で赤茶色っぽい見た目にも立派なものである。
本堂・庫裏とは廊下で結ばれている茶室「松帆しゃ」(しょうほんしゃ)は、旧御塩蔵町にあった銭谷五兵衛の隠居所の茶室を移築したと伝えられている。南方の樹木の化石と伝わる特異な石を沓脱石に据えるなど、海運業を営んだ銭谷五兵衛にふさわしい演出がみられるという。
「パンフレット」より
法宝物文化財「絹本着色方便法身尊影」は、正面を向き青蓮花の上に立ち、摂取不捨印を結び、四十八の光芒を放つ方便法身尊影である。