今回は、本多町の「石川国際交流サロン」で「加賀のお国染展」やっているということで見に行った。(4月25日)
「加賀のお国染」は他国に自慢できる加賀独自の染物をいい「加賀染め」とも言われた。源流が室町時代にに加賀の国で行われていた麻や絹に梅の樹皮や根を利用した無地の「梅染め」にある。その後の江戸時代中期に栄えた「加賀のお国染」を基に、京友禅の創始者といわれる絵師の宮崎友禅斎が晩年金沢の加賀藩御用紺屋棟取りであった太郎田屋に身を寄せ、大胆な意匠を持ち込んで確立した染色技法が「加賀友禅染」である。
「こども金沢市史」より
この展示会は、竪町にある「加賀友禅」で有名な「ゑり華」の会長であった「花山真一」さんが、江戸時代から昭和初期の着物を蒐集したものである。花岡さんは蒐集した着物をひとつひとつ寸法をとり、生地の裏表、柄、紋などを調べて研究をされた半生であったという。昭和50年代ごろから着物を着る人の数が減り、洋服に転換したので、このコレクションで見る着物は、日本人の美しさを表現した着物は貴重な存在となっている。
下の写真の着物は、「松竹梅」や「鶴亀」すなわち、おめでたい吉祥の象徴として図や文様に用いられた、すばらしい着物である。
また、柄は図案調の京友禅に対し「加賀友禅」は、草花や鳥などの文様もよく使われていることで知られる。自然描写を重んじることから「虫食い」などの装飾が生まれたという。
下の写真は「夜着」で、掛布団の一種で綿が入り着物の形をしている。長方形の掛布団と違って、肩が覆われて暖かいのが特徴という。大きな「夜着」は身幅を広く仕立てるので背中に半纏の背入りを入れる。生地は上質のものは絹で、友禅染などには藍染めによる麻や木綿が多いという。
着物の帯も着物に合わせて多くの種類があるが、昔は古い布やひもで縛っていた。室町時代は帯の原型となった「小袖」が普及するが、江戸時代に入るとだんだん太くなり、長さも長くなっていったという。最初のころは結婚している人は前結び、していない人は後ろで結んでいたが、帯が広くなり長さも長くなると、前で結ぶのが邪魔になり、後ろで結ぶようになったという。これが広まっていくと帯〆と帯揚も使われるようになったという。
文人は、書画・詩・篆刻・琴などの堪能していて、煎茶・花・香をたしなむ理想の存在だった。古硯・研屏・筆格・水滴などの盆栽・盆石・生け花・金魚鉢などの室内装飾は文人生活で、琴碁書画・文房清玩などといわれている。
下の写真は花瓶に牡丹・煎茶道具模様で、友禅染・描絵・刺繍などが施されている。
「祝着」は古来から子供の成長を祝う習慣は上流階級で行われたが、江戸時代に一般に、また地方に移行していった。子供の成長を祝う儀式だけの意味合いだけでなく、子供自身の自覚を促す役割もした。現在では七五三祝いや宮参りが一般的であるが、年代、地域によってさまざまであるという。