用水が合流した「深川橋」から見た左側が「鞍月用水」で、右側が「大野庄用水」である。この辺は現在では細い流れになっているが、以前はもっと水量が多かったようである。そこに水浴びしている「サギ」の親子を見つけた。そっと近づくと親が子の方によって行き、危ないかどうか確かめているようで、ほほえましい風景だった。
その傍らに「旧古道木揚場」の標柱が建っていた。「藩政時代、宮腰(金石)から舟でざいもくを運搬し、陸揚げしたところからなのでこの名が付いた」とあった。ここで揚げられた材木が、材木商が多く住む安江木町(現在の安江町・本町・玉川町・芳斉などにまたがる)に運ばれたという。安江木町に隣接する「木の新保」は、木挽・大工・木材運搬人が多数住み、活気あふれるところだったという。
「深川橋」から用水の下流側を見ると、また流れが二つに分流する所で、片側に立派な水門が付けられていた。左側は「木曳川」そして右側は「樋俣用水」となって下流に流れていく。
その近くに「木曳川」にかかる「木曳橋」と「樋俣用水」にかかる「樋俣橋」がある。
下の写真は、昭和6年頃のこの付近の用水の様子で、子供たちが用水の中に入って遊んでいる。現在はもちろんこういう光景は見られない。
「金沢のいまむかし」より
さらに歩くと「まめだ大通り」に出る。駅西の「広岡」方面から「豆田大橋」を通る大通りでラッシュ時間帯はかなり混雑しているらしく交通量は多い。いつ頃この道が開通したのだろうか?
通りの向かい側には、立派な建物の「長田町小学校」がある。ここは昭和7年に開校したというから歴史は浅い。開校間もないころには、市立商業が併設されていたという時期があったらしい。街中の小学生はずいぶん減って統合されているが、この辺りの小学生の人数はどうなのだろうか?
下の写真は、昭和8年に長田町尋常小学校の屋上から撮ったもので、市内中心部をJR北陸線越しに眺めた風景で、金沢城跡の森が見え、右手に市営の大きなガスタンクが見える。このガスタンクは、私が小学生のころには街中のあちこちから見えたと記憶している。
「金沢のいまむかし」より