2019年2月6日水曜日

三社 長土塀界隈(3)善照坊 浄住寺

三社 長土塀界隈(2)の続きで、山門前に「蓮如上人御参跡」の石碑が建っている浄土真宗本願寺派の「善照坊」がある。このお寺の情報はあまりなかったのでここの住職に少し話を聞いてみた。蓮如上人の弟子だったころに、ここの僧が蓮如上人から「善照坊」の名前をいただき、うれしく思いお寺を創建したという。現在は「本願寺派」だが、以前は「大谷派」で江戸時代に代わって「大もめ」したことがあるという。



















現在の建物は、そんなに古いものではないという。本堂前は冬の雪支度のため完全にガラス戸で覆われていた。本尊は阿弥陀如来である。



































ここの墓所の入口に大きなお堂があったが、中には「喉仏」が納められているという。ここの墓所にある「川北家」の5代が僧善照坊に付き北國に下り僧となった。のちに7代が木町で木綿やの商いをやっていたという。また「千木野屋」は高岡町に広い屋敷を構え、植木屋の商いをやって、真言宗系寺院で藩政時代から続く商人の墓は珍しいという。



















お寺の横の細い路地に沿って古めかしい下面が石垣で上面が白い漆喰が塗られた長い板塀があったが、いつの頃のものなのか?



















この辺りの路地は狭い道が入り組んでいるが、その中でも比較的まっすぐな道の「旧公儀町」は、「もと寺地などであったが、藩政前期に藩用地とし藩士の屋敷などを置いたので公儀町と呼ばれ、のち、公儀の文字をはばかりこの名に改められたという」というところだ。
























この辺りの道は狭いためか融雪装置がちゃんとついている。もっと街中でもついていないところがたくさんある。ずいぶん前に金沢市の助成と住民の寄付によりつけたらしい。この時は住民全員の賛同がないとできなかったが、それらが得られたからというが、今となっては大変よかったであろう。
























すぐ近くにのお寺「浄住寺」は「法苑山浄住護国禅寺」といい、曹洞宗の太祖瑩山紹きん禅師によって鎌倉時代に開かれたという。創建時には、山崎庄に七堂伽藍が完備されていた。その時に地蔵さんが今でも山崎庄(現在の小将町中学校辺り)に残っている。前田利家の入城後の1583(天正11)年に現在の地に建立された。以来以来女人救済・衆生済度の太祖大師の志を継いで現在に至っているという。

現在の本堂は昭和14年に建て替えられた立派な赤い建物で、本尊は釈迦如来である。



















ここの梵鐘は、天皇の名あることから大戦中に供出を免れた。ここの墓所にある「小塚秀征」は、前田利家の荒子以来の家臣で、2代利長の時に高岡に従い、3代利常の時には大坂冬の陣に従い、夏の陣の時には金沢城代を勤めた。のちに芳斉に屋敷があった。



















山門横にあった白いカビ(?)の斑点が付いている黒い面白い形の灯篭が置かれていた。