鳥越一向一揆まつり(2)の続きで、その後「鳥越城跡」に行った。かなりくねくねした勾配のある道を上がりと、周囲が見渡せる高台に出た。標高313mの山城で、加賀一向一揆終焉の地としてあまりにも有名である。
高台の少し広くなったところに、ここの城跡が日本城郭会の続100名城に認定されていることや、ここの城の配置図が描かれた立て看板があった。続100名城には今年の4月に認定されたばかりだ。ちなみに2006年に石川県で100名城に認定されているのは、金沢城と七尾城の二つだけである。100名城をすべて回ると、そのスタンプ帳を送ると「祝登城完了」の印と登録順位が送られてくるという。これを目指して全国の城巡りをしている人も多い。人気があるので続100名城ができたのかな。
山の地形を利用して、本丸を中核に7か所の平坦地を堀切や土塁などを築いて連続させる連郭式城郭の代表格で、主要郭はすべて空堀によって区分されていて独立している。
凄まじい戦いであったことを物語る「一揆敗れて山河あり」と描かれた碑があった。
この高台からは、大日川をはさんで「鳥越城」と一緒に最後まで戦った「二曲城」があった山が見える。下の大日川の方から敵を両側から攻めるという場所で、二つの山の距離も数100mしかないので、いろいろな手段で情報交換していたであろうと思われるという。いかに柴田勝家側が攻めあぐんだかが想像される。
斜面の下が堀切されて防御しているところが所々にある。
本丸に入るところに両側に石垣が築かれた「桝形門」と、階段を上がりながらクランク状に曲がった先に櫓がついた「本丸門」が復元されたいた。このような枡形になっているのは、中世から近世に変わろうとする城郭の姿を表わしているという。
「本丸門」をくぐると、本丸の広い平坦地にいくつかの木柱が建てられ、どんな建物があったかが表示されている。発掘調査から建物の礎石や柱穴などが見つかり、出土品として明時代の盃や水差し、天目茶碗、茶入れなどが見つかっている。その他、武具や日常生活品も出土している。
高台でも、建物があったので水が必要であるので「井戸跡」も再現されていた。
本丸の台地の後ろに空堀はあり、その向こうに「後三の丸」がある。眼下に小さく見える建物は「バードハミング鳥越」の建物か。10数年前に、ここでよくテニス大会をやった後、バーベキューをやった思い出がある場所だ。
別の方向を見ると手取川が流れて、川に沿って「国道157号線」が走っている。近くには「釜清水」や「手取渓谷」がある。かなりの高台であることが分かる。
本丸の脇に「二の丸」がある。ここの廓も全周に土塁が築かれ、「二曲城」を正面に見下ろす隅櫓があり、ここから「二曲城」と連携していたのであろうか?「二の丸」からも土器や刀などが出土している。
石垣の後ろには砦付の「中の丸門」が見える。