2017年9月22日金曜日

京都鉄道博物館(1)

今回は、孫の夏休みも終わりに近いということで、「京都鉄道博物館」に行ってきた。当初、旅行代理店によるJRで行こうと思っていたが、いつ行こうか迷っていたので、予約を取らなかったので、車で行くことにした。(8月29日)
朝7時ごろ金沢を出発し、鉄道博物館のすぐ近くは混んでいると思い、少し離れた駐車場に止めたので、そこから歩いて着いたのは11時過ぎになった。ここは、2016年4月に開館したばかりで、今日は平日だが、まだ結構混んでいる。




















早速館内を回ると、明治期から活躍していた「タンク式蒸気機関車233号」が展示されていた。官設鉄道が初めて購入した国内民間会社製機関車である。明治期のレトロな雰囲気を醸し出している。




















新幹線の高速化に伴い開発された、最新の「500系新幹線」は「のぞみ」という愛称で親しまれているが、いかにも早そうな外観である。そばには、新幹線により廃止されたものや、今でも活躍している特急列車も並べられていた。




















私たちが中学生のころに習った産業革命時代に蒸気機関を発明した「ワット」の構造模型があった。大きなシリンダ、ピストン、クランク、はずみ車が見える。




















イギリスで走っていた「蒸気機関車」の誕生のころの模型 で、今のものとはずいぶん違う。




















日本に「蒸気機関車」を走らせるために関係した「ジョン万次郎」、「エドモンド・モレル」、「大隈重信」が紹介されていた。「ジョン万次郎」は、小さいころアメリカの漁船に助けられ、その後、日本開国のもととなったペリーの通訳も務めた。アメリカで、日本人初めての鉄道になった人として有名である。「エドモンド・モレル」は「お雇い外国人」として、鉄道建設の指導者としてに尽力した。「大隈重信」は、若い時に長崎で英語を習得し、明治新政府で鉄道建設に尽力した。



























1872(明治5)年に新橋・横浜間を国内で初めて走った時の鉄道開通式の様子を表したジオラマと、その時の機関車の模型




















戦後になって、国有鉄道が発足し、その後、東海道や九州にシンボルとなって走っていた特急列車「つばめ」 や乗務員の服や懐かしい備品が並べられていた。



















鉄道の連絡船として1908(明治41)年~1988(昭和63)年までの間、東北本線の青森駅と函館本線の函館駅まで結んでいた「青函連絡船」があったが、その様子がジオラマで見ることができた。



















レールに使われていたいろいろな材質の「枕木」やイギリス、アメリカで使われたレールが展示されていた。レールの断面形状や止め方もさまざまである。




















北陸新幹線のグランクラスのシートが並べられていて、シートに座ってリモコンにより背中や足のシートのもたれを好きなように傾けられ、座り心地が体験できる。