扇町、暁町、横山町界隈(2)の続きで、この辺りは加賀八家の「横山家」の上、中、下屋敷などがあったところである。「横山山城守」の屋敷は藩政期初めは金沢城の中にあったが、火事で焼けた後に、元禄(1668~1704)のころに今の横山町に移ったという。当時5,500坪あり、居住地付近は一族や家臣の屋敷が立ち並び、あたかも横山家の小城下町の様相を呈していたという。
横山町界隈は狭い道が多いが、その中で異様に広い所がある。ここは、上図の古地図からもわかるが、「横山家上屋敷」の前にある広見があるが、ここに正門があったらしい。金沢に30くらいあるという広見の中でも、かなり大きい方だ。ここに加賀八家の「横山家」の説明板があった。
この広見の脇にまだ建てて新しそうな「横山町地蔵尊」があった。
この付近の道は藩政期にできた狭い道が多く、金沢らしい城下町の雰囲気が残った所である。まだ、再開発が遅れているのか古そうな家が多い。この辺りを歩くのは初めてで、狭い道で行きどまりが多く、歩いているうちに何度か道に迷ってしまった。
ここに、知る人ぞ知る「どじょうのかば焼き」を売っている「浅田」という店がある。今では近江町市場のほかで売っているのはここだけではと思うが?
店の中では、ちょうど観光客の京都から来たという女の人がどじょうを食べていたが、金沢駅からかなり遠い、ここまで「金沢名物のどじょうのかば焼き」を求めて食べに来る人もいるのだなあと思った。
「浅田」さんは約50年位前からやっているという。店の中にはどじょうを焼く古めかしいかわいいコンロがあった。
「金沢名物のどじょうのかば焼き」は、藩政期に長崎浦上のキリシタン、500人余りが政府の改宗に応じなかったため捕らえられ、その後加賀藩に託され、卯辰山にこもっていた時に、食うや食わずの中で少しでも精のつくものと、せせらぎを行くどじょうを採り、醬油をつけて焼いたのが始まりである。ウナギももちろんおいしいが、このどじょうのかば焼きの、少し苦みを感ずる独特の味は私も大好きで、ビールのつまみには最高である。
「加賀、能登 郷土料理」より
この付近辺からは町の中心に出るには大変であるが、「ふらっとバス 材木町ルート」が走っているので、シニアにとっても便利であろう。
少し歩くと、浅野川に架かる「常盤橋」に出る。昭和28年の大洪水で流失した後、現在の橋になった。擬宝珠のある橋で、「天神橋」と「鈴見橋」の間にあるが、ここは車の行き来が少ない静かな橋である。
直木賞をもらった地元の女流作家「唯川 恵」の作品の「川面を滑る風」は、その主人公が「常盤橋」周辺で生まれ、東京から帰郷した子供連れの女性が実家に帰ってきたところから話が始まる。5年経つが、自分自身もここの風景も全く変わらないことを記している。確か「唯川 恵」がこの近くで生まれ育っているはずだから、主人公と自分自身を重ねている作品か?
下の写真は「常盤橋」から上流側を見る。
「常盤橋」の下流側を見る。私の子供のころに、この近くに「油谷牧場」があり、よく行ったのを覚えている。
この「常盤橋」の近くに「金箔製造販売 舞谷」の看板が掛かったひときわ立派な町屋風の建物があった。