今回は、白山市の松任総合運動公園で「あさがお展」そして松任駅前にある「千代女の里俳句館」を見に行った。
松任総合運動公園は、30年以上前から陸上競技場、プールなどスポーツのいろいろな施設がある公園となっている。
ここで思い出すのは20数年前に私が勤めていた会社に、お客さんとして大学時代に同じクラブで活動していた者が来たので、久しぶりに会い、金沢市内のテニスコートの予約が取れなれなかったので、ここで社内の他の人も交じって接待テニスをしたことである。
この公園の一角にある建物で「あさがお展」をやっていた。加賀の千代女が朝顔の句をよく書いていたので、白山市のシンボルの花となっている。
小さなドームの中に多くの朝顔が展示されていた。
内の孫も夏休みに入る前に学校で毎日観察していることを言っていた。私もずいぶん昔の小学生のころに朝顔をよく観察した記憶がある。
ピンクや紫色など大きく開いた朝顔が並べられていた。
続いて、松任駅前にある「朝顔やつるべとられてもらい水」で知られる江戸時代の女流俳人の「千代女の里」俳句館に行った。ここは、俳句を通した交流・体験活動のための拠点施設として設置されたという。
千代女は17歳の時に松尾芭蕉のでしの美濃の「各務支考」(かがみしこう)にその才能を認められ、家族が不幸が続く中でも、俳諧の強い思いを持ち続き、非凡な才能をのばしていったという。
千代女の俳句は、分かりやすい言葉で心の残る句が多く、女性らしい細やかな観察眼をもっていて、植物をはじめ、自然を季語に使うことが多いことが特徴である。
52歳で尼となった後の10年余りは、間覚ましい活躍を見せ、1763(宝暦13)年に朝鮮通信使の贈り物として21句の俳句をしたためた掛物と扇子を加賀藩に献上し、海外に俳句が紹介された最も早い事例のひとつとなっているという。下図は、朝鮮通信使の行列を挿絵画家が史料をもとに、当時の様子を描いたものだ。
千代女の居宅の一部の「草風庵」は二畳敷きの茶室の草案で、ここの壁に「朝顔や・・」の俳句のイメージが動画として移されていた。
建物の裏の庭に「千代女朝鮮通信使献上句碑」が建っていた。