2016年9月2日金曜日

辰巳用水遊歩道(1)

藩政期の初めに造られ、日本三用水の一つとなっていて、金沢の中心部に水をもたらしている「辰巳用水」の遊歩道を歩いた。大桑町から錦町まで2kmが用水の沿って遊歩道が整備されている。今回は、小立野の先の錦町から遊歩道に入った。




















その入口のすぐそばに「大瀧坂」の標柱があり、「かってこの坂の脇には、辰巳用水から台地下の田畑を潤す流れが、大きな滝のように流れ落ちていたことから、この名が付いた」とあった。




















この遊歩道はウォーキングコースとして絶好の場所である。今日は午前9時過ぎになり、日差しが強かったが、両側の木々が鬱蒼と茂っており、影ができていて涼しく最高である。この夏は暑かったので、朝の5、6時ごろには随分歩いている人が多いのではないかと思う。




















途中途中に遊歩道の道案内板があり、どの辺にいるかが分かる。またこの辺りにいる植物や動物たちの説明書きがあった。




























































周囲の木々は落葉樹が多く、高々と伸びているケヤキや杉の木、他に孟宗竹なども多くある。








































用水の所々に、水の一部が崖下に水が流れるようになっており、入口の石の置き方が工夫されており、流量調整用の手動のバルブハンドルが付いていた。




















遊歩道の崖下への分水により、下の方に民家や田んぼ、畑が多くあり、農業用水として、あるいは大桑や笠舞地方の灌漑用のために作られたということであるが、急坂を勢いよく水が流れていた。


























途中の右側に「山側環状線」の道路がこの遊歩道や用水の下をトンネルになって走っているのが見えた。




















右側の階段を下りると、「涌波堤公園」があった。ここの石碑には「この公園の名称は、昔、辰巳用水の水を灌漑用として使用する目的で、この一帯に堤を造り水を蓄えてあったところであり、大正時代に開拓され水田となっていた。また、この公園の南側には加賀藩時代の火薬製造所が、西の方一帯は塩硝庫が置かれていた」と記されていた。




















またその先の左側には、用水に橋が架かっていて、階段の道があるが、この坂を「えんしょう坂」と呼ばれている。ここには、「加賀藩時代、この涌波一帯にあった藩の煙硝蔵に五箇山から煙硝が運ばれたいたときに使われたことからその名が付いたとされる」とあった。