惣構堀は、城防備のために作られたもので、1599(慶長4)年に藩祖前田利家が亡くなり、2代藩主利長が金沢に戻され、徳川家が前田家つぶそうとしているのを防備するするために、高山右近に命じて東西に内惣構堀(内堀)を作らせたのである。
また、1610(慶長15)年の3代利常が篠原出羽守一孝に命じて外惣構堀(外堀)を作らせた。
「金沢之絵図」金沢市立玉川図書館所蔵
惣構堀は城防備の堀ということで、堀の内側には土を6~9mの高さに盛り上げて土居(どい)とし、雑木や竹などが植えられていたという。
西外惣構堀の源は、現在の「本多町園地」か「旧中村邸」裏あたりでろうか?
本多町通りから21世紀美術館と知事公舎の間のところにその堀が見え、現在は辰巳用水の分水が「美術の小路」からつながって満々と水が流れている。
ここの通りにアーチ型の「宮内橋」があるが、この橋名の由来は延宝の「金沢城下図」にも出ている小幡宮内の邸宅があったからで、橋は板橋で番人が常駐していたという。
「金沢城下図」金沢市立玉川図書館所蔵
この辺りは、西外惣構堀跡がどんなだったか見せられるようにきれいに整備されていて、堀の内側の石垣の上に雑木や竹が植えられていたことが分かる。
この堀沿いの通りの向こう側に、金沢市役所南分室(以前は北陸学院短大などの建物であった)があるが、建物も老朽化して耐震性の問題もあり、第2庁舎として建て替えられるという。
先日の新聞に本庁舎とこれから建てる第2庁舎を地下道で結ぶという計画であるというから、外惣構堀の下を通ることになる。そして、一般の人が外惣構堀の水の流れを間近で見ることができる憩いの場を作るという。また、現在ある本多町にある職員会館を移し、21世紀美術館から鈴木大拙館までつながる「緑の小路」、「美術の小路」を含めた本多町歴史文化ゾーンの散策空間を作るという。また、今日の新聞にこの辺は茶室が多く残っていることから「茶の湯空間」として整備するという。楽しみがまたひとつ増えそうだ。
その後、商店街の裏を通っているが、狭くなっており元の惣構堀は幅9mあったというから、現在の商店街と通り辺りまで堀であったらしい。
「うつのみや」の前で、「鞍月用水」と合流している。
「うつのみや」の横に橋が架かっているが、その橋を渡ると坂になっており、土居であったことが分かる。
そして、老舗の「蛇の目寿司」の前を通っている。
下図の写真は昭和12年ごろの「蛇の目寿司」であるが、現在もその面影が残っている。学生の頃の今から50年近く前にここへ入って、大変おいしかったことを覚えている。
その後、ビルの谷間を流れて香林坊橋に至る。