今回は、犀川大橋とひとつ上流の桜橋間の川の両側を歩いた。
現在の犀川大橋は1924年に架け替えられ、鋼製曲弦ワーレントラス
式である。その前までは、洪水で何度も流失した。
江戸時代には犀川のここだけに橋が架けられていた。
福島秀川が描いた「金沢城下図屏風」では、江戸時代の橋付近の
生活の様子がよく分かる。
大橋のすぐ入口に「寺喜屋」という料理屋がある。
ここは魚屋が経営している店で、リーズナブルで気軽に入れる店である。
右側の古い建物は、中が昭和30年代のレトロな飲み屋の雰囲気が
味わえる。
左側の建物は、少し新しくて大きな建物で予約が必要であるという。
20数年前に、私が東京から金沢に来たときに、会社で歓迎会を
やってもらった場所なのでなじみが深い。その後に2,3度飲みに
来たことがある。
ここのすぐ前の坂が「蛤坂(はまぐりざか)」といい、1733年に雨宝院の火災で
道が拡張されたことが、火によって開くハマグリにたとえられたことによる。
私が高校時代にここを毎日自転車で通ったのでよく覚えている。
通学路で坂といえるのはここだけで、尻をサドルから離して勢いよくこいで
上がったことを記憶している。
蛤坂を上がったところにレトロな3階建ての建物がある。
犀川側の下から見ると4階建てであるという変わった建物で
「山錦楼」という。
この建物は、名前だけが書いてあったが、なにをやっているのか
分からなかったので、中に入って主人に聞いたら、明治からの老舗で、
加賀料理を出す料亭であるという。予約だけでやっているということなので
なじみのお客さんが多いのだろうか?
また、近くに松尾芭蕉の句碑があった。
「あかあかと 日は難面(つれなく)も あきの風」とある。
この碑は郷土の小松砂丘が書いたものである。
小松砂丘は金沢のあちこちに絵や書を描いている。
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