2022年11月25日金曜日

金石・粟ヶ崎歴史探訪(4)専念寺 木谷公園

 金石・粟ヶ崎歴史探訪(3)粟崎八幡神社の続きで、近くにある「上の清水」に行ったが、ここは以前東西に渡って数か所に「しょうず」と呼ばれるきれいな湧水があり、住民の生活用水になっていた。今では、この「上の清水」だけが残っているという。

























続いて、「専念寺」というお寺に行った。真宗大谷派に属し、文明年間帰依し郷土の坂東五郎左衛門正乗が開基といわれる。もとは「専念坊」と称した。明治12年に今の寺号に改めた。500年余り、この地に法灯を伝える寺という。


















本堂は新しく建てらかえれた鉄筋コンクリート造のようだ。






































その先に、有名な粟崎の豪商だった「木屋藤右衛門」の旧宅があったという「木谷公園」がある。この家の栄枯盛衰の歴史については次回のブログで紹介する


















この公園は、現在の大野川(旧新川)と藩政期にあった「古川」の間にあった、かなり広い場所である。


















木谷公園沿いの大野川で、ここに架かる橋には「新川橋」の名前の橋もある。


















「古川」は現在は道路となっている。以前の絵図のように湾曲しているのが分かる。


















現在の「木谷公園」はひっそりしていて、鬱蒼とした木々が多い、広々としたところである。


















後日紅葉の時に行った「木谷公園」


















木谷公園の近くには「粟崎地蔵尊」(身代わり地蔵尊)がある。
1788(天明8)年に加賀藩士殺害事件の詮議から村を救うため罪を被り、村民の身代わりとなって処刑された。若者(伝承では善吉又は善四郎)の霊を弔うために、1865(慶応)元年に造られた地蔵尊と言われている。昔神社の秋祭りに村の青年団により「善吉物語」として上演されたこともあったという。


















さらに近くに加賀の豪商「木谷家」の墓所がある。そこで一番目立つのは「木谷吉次郎翁墓所」の標柱で、木谷家の中でもひときわ村民に尊敬された人である。この「木谷吉次郎」についても後日、改めて紹介する。
























墓地の高い場所にある黒っぽい墓は、一番古い木谷家の墓だという。
























他にもいくつかの木谷家の墓が置かれていた。