2022年8月19日金曜日

輪島塗の地球儀(輪島漆芸美術館)

今回は、7月15日まで「石川県民キャンペーン」として多いな割引があるということで「和倉温泉」で1泊することにした。そのついでに輪島まで足を延ばして、朝市および 輪島漆芸美術館に行った。(7月13日)

しかし輪島に着いたのは12時過ぎとなり、すでに「朝市」は終わっていた。魚の干物でも買おうと思っていたが残念でした。



















すぐに昼食にそばを食べた後、海を見に行き、そこの近くあった「輪島市観光協会」に行き、江戸末期に海防のために13代斉泰が、「能登巡見」を行っているが、この近くに今も残っている巡見路があると聞いていたので尋ねたが、担当者が不在で、結局担当者に電話で場所を聞いた。


















輪島市深見町にある神社の近くと聞いたので、そこまで見に行ったが、結局分からずじまいに終わった。


















下図は「能登の歴史」に載っていた今も残る巡見路の一部で、藩主はここで腰掛け、鷲岳の宮守や海原を眺めて一服したという。











続いて、つい4か月ほど前から輪島塗の地球儀が展示してあると聞いた「輪島漆芸美術館」に行った。



















この地球儀は蒔絵と沈金で夜の世界を表現(Earth at Night)しようというもので制作に5年かかったという。完成したオブジェは高さが1.5m、球体の直径が1mあり、漆の黒の色調を生かし、宇宙から見た地球のあかりを示すために金を塗りこめたものである。


















当初はどのようなものを作ろうかという問いに対して佐賀市武雄市に所蔵されている重要文化財「武雄鍋島家洋学関係資料」に18世紀のオランダの地球儀がある。これは高さが34.5cm、直径22.2cmサイズのものだが、これを輪島塗でしかもそれより大きなものを作ろうという壮大な提案がなされ、対立や分断が絶えない地球に暮らしながらも、それを超えて他者に思いを巡らせることに意義があり、輪島からメッセージを発信できればとの思いから制作するということになり、熟練の技を発揮できればということから始まったという。
下図は重要文化財「武雄鍋島家洋学関係資料」の地球儀
























地元の輪島塗の保存会が輪島市の依頼を受けて、制作には輪島塗の作家や職人が37人関わり
約5年間の歳月をかけた完成させたという。











輪の形にした細い木をいくつも組み合わせて球体を作り、宇宙から撮影した画像データを基にして、夜の地上で光る街の明かりを「沈金」と「蒔絵」の技法を使って精密に描いたという。



















東京の詳細な部分を見ると大きな道路の線がはっきり分かるほど緻密な制作になっている。
























ここで、輪島塗の地球儀の工程について簡単に説明する。
地球儀の球体はアテ材(ヒノキアスナロ)の板を薄く削って曲げた輪を、大きな輪から小さな輪へ積み上げながら漆接着を繰り返す。その後に組輪を轆轤引き成形する。






「パンフレット」より

















輪島塗に最大の特質は、輪島の粉(焼成粉末化した珪藻土)をした下地漆に用いることである。その後に中塗り、上塗りを施し黒漆塗として球体を作る。





「パンフレット」より








宇宙から見た夜の地球のデータに基づいた下図から「蒔絵」と「沈金」の技術を使って文様を彫り、金箔や金粉を漆で定着させ、磨き上げて、夜の輝きを表現する。




「パンフレット」より









この地球儀を見たかった第一の理由は、旧石川県庁の「しいのき迎賓館」の1階の中央階段の所に漆の石川県地図が掲げられている。これは衛星写真をもとに図案化し漆塗りで1987年に制作されたものであるが、やはり地元の伝統工芸「蒔絵」と「沈金」の技法で作られたものなのでどう違うのか見たかったからである。