ここ「野沢温泉」は、奈良時代に修行僧によって発見されたという古くからある温泉地である。温泉地の後ろの山はスキー場になっているが、雪のない時期は、そのスキー場で「野沢菜」が栽培されているという。
細い路地が入り組んだこじんまりした街の各所から温泉が湧き出ており「外湯」が13か所もあり、住民たちも生活に根付いているという。その中で一番人気があるといわれ「野沢温泉」のシンボルとなっている「大湯」は、江戸時代の趣を再現した湯屋建築で、屋根が三重になっている。ほんのり黄色い湯に湯の花が浮かんでいるという。
「大湯」の前の坂道を上がると、温泉街を見下ろす高台に出て、そこに曹洞宗の古刹の「健命寺」がある。そして石段の上に山門がある。
採取用の野沢菜が、今でも寺内の圃場で、江戸時代の農耕方法により栽培されており、健命寺産の原種は「寺種」として手に入れることができるという。山門前から石垣の上に建つ鐘楼
健命寺の創建は1568(永禄11)年に薬師如来像、十二神将像を安置されたのが始まりという。現在の本堂は1805(文化2)年に再建されたもので、寄棟、金属板葺きで、屋根は金沢の瓦葺きとずいぶん違う。この辺は雪深いため雪が自然に落ちるようにか屋根の勾配もきつい。
その向かいにある「薬師堂」は2層宝形造りで、屋根の角が吊り上がっているのも面白い。内部には上杉謙信の守本尊と伝わる薬師瑠璃光如来像が安置されているという。横には以前使われていた釣鐘がひび割れたので置かれていた。
ここの前に唐破風向拝に素晴らしい彫刻がなされたいた。付近のおばさんが話していたのは、これは400年前の富山の彫刻師の作だと言っていたが、井波の彫刻師だろう。
ここの境内をを歩いていくと、その横にある野沢温泉の鎮守社である「湯沢神社」の境内に入る。
ここも杉の木立の中に石垣に囲まれた階段を上ると拝殿がある。
社殿は1756(明和2)年頃の造営と伝えられ、創建の年代ははっきりしていないが、諏訪信仰の祖神建御名方神(タケミナカタノカミ)を祭神としている。拝殿の扁額は明治の元勲三条 の揮毫で彫刻はその作風から江戸時代中期のこの地方で活躍した越後の工師岩崎嘉一とその一門の作と推定されている。