今回は、天気も非情に良かったので1時間ちょっとくらいで行ける「富山岩瀬地区」にドライブした。北陸自動車道「西富山インター」で下り、まず「富山港展望台」に行った。この展望台は、富山湾の南西に建立されている金毘羅社内の常夜燈をモデルにしたもので、北前船時代の繁盛記には燈台の役目をしていたといわれる。現在のものは昭和60年に建てられたものだという。
高さ25mという建物の内部の階段を上ると、富山湾の向こうには能登半島が大きく見える。江戸時代の北国街道の参勤交代や奥の細道の芭蕉たちは、このあたりをずっと歩いているが、海の向こうには能登半島が いつも見えたであろう。
反対の山側には、今日は立山連峰がきれいに見えた。こんなにきれいに見える日は珍しいらしいという。中央が「剣岳」で、右手の高い山が 「立山の雄山」であろう。下の写真では見えないが、左手の奥の方にはすでに真っ白な「白馬岳」も見えた。なんと素晴らしい眺めであろう。
続いて岩瀬の町並みを歩いた。岩瀬は江戸時代から明治にかけて北前船による廻船問屋が多く営まれた。明治初期の大火により多くの家屋が焼失したが、当時は廻船問屋業が全盛を極めていたので、その財力により岩瀬独自の家屋様式「東岩瀬廻船問屋型などの家屋として再建されたという。
現在の家屋の多くは「岩瀬大町・新川町通り」を表構えにし、河岸を背にして建てられたという。
北前船の廻船問屋の土蔵を利用した大きな酒屋さんの建物は奥行きが深く、後方にはガラス工房や陶芸工房、レストランもあるという一大文化施設となっている。
この通りある「岩瀬大町公園」には、岩瀬が大正期に日本でいち早くコンクリートやガス灯などの西洋建築物を取り入れた街で、大正期の岩瀬の町並みを今に伝えるガス灯があった。また、中央に北前船のブロンズ像が置かれていた。
町屋を利用したレトロな建物を利用した銀「旧岩瀬銀行」から「北陸銀行」になった銀行や「北日本新聞」の新聞社があった。
ここは防火土蔵造り型の町家で、2階は黒漆喰で開口部は重厚な窓枠である。1階は大戸の横は出格子(スムシコ)となっている。
「佐藤釣具店」の看板は、太い枠の中の細い金網に店の名前と釣り竿や魚が絵が貼られている面白い看板である。
昼時になったので、この通りにあった喫茶「アップリコ」でランチとコーヒーを頂き一服した。
さらに歩くと、大きな杉玉が玄関の上に架かっている「「枡田酒造店」があった。明治26年創業の造り酒屋で、富山を代表する吟醸酒「満寿泉」がある。
「大塚屋製菓 」では、丸いのが普通だが岩瀬だけという三角の「どらやき」があり食べてみたら、そんなに甘くなく優しいおいしさだった。地元の人もよく買いに来るらしい。