2019年8月4日日曜日

卯辰山寺院群(6)全生寺①

卯辰山寺院群(5)の続きで、「妙国寺」のすぐ近くに赤門寺で有名な「全生寺」に行った。ここは日蓮宗のお寺で、山門の構造は屋根が入母屋造りの楼門であり、建立は18世紀後半と推定されている。この楼門は2階建てで、2階には「腰組」と呼ばれる回り縁で支持する高欄が付いている。この正面の柱の間隔が三つあり、扉が一つ設けられていることから、三間一戸形式の楼門と呼ばれている。この2階には、梵鐘があったが、太平洋戦争で供出したという。外壁および軒裏などにはベンガラが塗られていることから別名「赤門」といわれている。金沢の江戸時代の社寺建築を代表する緊張な建築物である。



















山門には、大小さまざまな「わらじ」が掛けられているが、健康・健脚祈願とともに足腰の病気の治癒を願うために納められたという。



















門の内側には、誰が履くのだろうという大変大きな「わらじ」もかけられている。

 門の両側には金沢のお寺には珍しい赤い「仁王像」があった。口が開いている(阿形)と口が閉じた(吽形)いて、阿吽の呼吸を表しているという。寺院の守護神となっている。
























開山は1522(大永2)年日仁上人の創建といわれている。当初は越中放生津にあったが、その後、2代藩主利長に従い、越中守山に移転した。1786(天明6)年に現在地に移った。本堂の不動明王は、10代藩主重教の主本尊で、重教が世嗣となった1753(宝暦3)年に重教の生母実成院から預けられたものである。



















庫裡は、1886(明治19)年にここの22世に日道上人の代に武家屋敷3棟を解体し建築したものだという。座敷の柱は細く、加賀の武家屋敷の建築法の洗練されて、完成された形を残しているという。




















泉鏡花の「夫人利生記」に「俗に赤門寺と云う。・・・門も朱塗りだし、金剛神を安置した左右の像が丹であるから、いずれにも通じて呼ぶのであろう。仁王門の柱に、大わらじ掛かっていて、稲束の木乃伊(ミイラ)のようにかかっている」と描いている。


ここには、鏡花の母方の実家中田家の菩提寺であり、中田家は代々加賀藩宝生流大鼓師を務めていたことから墓がある。
























金沢は江戸時代から能楽の盛んなところであるが、武士のたしなみとして奨励した能楽の加賀宝生がある。その能楽宝生流家元宝生紫雪の墓がある。
























また、加賀藩に仕えた波吉紅雪や諸橋権之進の墓もあり、「能寺」とも呼ばれている。