2019年8月24日土曜日

卯辰山寺院群(10)本法寺 光覚寺

次に「本法寺」にいった。ここは、日蓮宗で「お稲荷さん」のお寺として信仰されている。創建は1587(天正15年)に常唱院日隋上人が開山した。元は越中新川松倉にて圓通寺と称したが、後に金沢下堀川に移転し松倉山本法寺と改めた。3代利常による内証の祈願を成就。祈祷所命ぜられ現在の寺領を賜った。その後、寺領220歩あまりを拝領して現在の地に移転したという。




















山門の左側に建っているのは題目塔で、「南無妙法蓮華経」と刻まれている。
























山門の柱や扉に小さなひょうたんやわらじが掛けられていた。

4月のころに訪れたので、境内には、ピンク、黄色、赤など色とりどりの花が咲いていて境内も華やかな雰囲気だった。













続いて「光覚寺」に行った。広々としたところに山門が建っていた。



















光覚寺は浄土宗西山禅林寺派のお寺で、城内の新丸の内、塩屋町を経て現在地に移転したという。敷地に山腹を取り入れた静閑な佇まいである。本尊阿弥陀如来像は俊寛層都の守り本尊と伝えられている。本堂の永国山の額は、御西院天皇の11皇女宝鏡宮(本覚え院宮)の御筆である。



















鐘楼に梵鐘のほかに昔の鬼瓦が載っている。
























「源光谷長左衛門 牌」と刻まれた台の上に蓮華に載った立派な「阿弥陀如来像」が置かれていた。
























本堂の裏側に行くと山腹となるが、そこに墓地がある。その中に「あめかい供養尊」の地蔵がある。
光覚寺は金沢に四つある一つの「あめかい幽霊伝説のお寺」として有名である。
伝説は、光覚寺門前の坂にある飴屋に毎夜飴を買いに来る女がいた。ある夜今夜が最後と言って店を出た。、店の主人が不思議に思って後をつけていくと、女は光覚寺の墓地に入り、姿が見えなり、掘り起こしてみると、若い女の死体の抱かれた赤ん坊がいた。女は幽霊となり、生まれてきた子に乳の代わりに飴をなめさせていたという「あめかい幽霊」の伝説がある。



















光覚寺の前には「あめや坂」がある。「あめかい幽霊伝説」からその名前があるのだろう。今はバス通りで分断されてしまったが、藩政期のころの坂は長い急坂で、子供たちが荷車を後押しして、駄賃をもらっていたという。写真の大通りの向こうの狭い坂の先が光覚寺である。



















この「あめや坂」を分断している大通りを東山方向に行くと「旧高道町」の標注があった。藩政初期の北陸道は、現道路よりやや西にあったいまの道が山側で高いところを通ったので、この名で呼ばれるようになった」とあった。