2019年1月22日火曜日

三社 長土塀界隈(1)豊田白山神社 三社どんど

今回は、三社、長土塀界隈を歩いた。三社町にある「県女性センター」、「金沢中央郵便局」の裏の小路をまっすぐ行くと「豊田白山神社」に出る。



















神社前には「三社町」の標柱があり「この付近は旧石川郡戸板郷三社村で、氏神三社の宮があったのでこの名になった。藩政時代は武家屋敷に農家、町家が混在した町であった。」と刻まれていた。
























ここは明治以前は神仏混交で、天台宗の「三社常光寺」と言われてきたが、明治になり神仏分離令により「豊田白山神社」と名前を改称した。三社の宮が、ここに根を下ろしたのは1655(明暦元)年の5代藩主綱紀のころで、それまでは西念新保や広岡を転々としていた。この山門は神仏分離以前の寺院門がそのまま残っているということだ。



















白山神・菊理姫命、八幡神・応神天皇、春日神・タケミカ槌命を祀ることから三社村と呼ばれるようになった。1911(明治44)年に古道・木揚場の出雲神社が合祀され、盛大な合祀祭が行われたという。



















神仏分離後、祀られていた十一面観音、薬師如来、阿弥陀如来は卯辰山の天台宗・西養寺に移されたという。また、昭和30年頃に金沢市より、300前の拝殿や殿内の彫刻・神門(山門)・土塀・灯篭など旧容をよく残しているとのことで、史跡として教育委員会の寄付だが拝殿前に掲示されている。


































境内には「手水鉢」や「狛犬」、赤戸室石の灯篭などが置かれている。


































「豊田白山神社」の裏側から出ると「大野庄用水」が流れていて、そこに説明板があった。



















「三社どんど」には水門があり、これを開閉することにより水位を自由に上下させて、舟で運んだ木材を容易に引き上げたり、あるいは船荷の積み下ろしを容易にするためにした仕組みだという。ここで左側に分流口があり「三社用水」となって「旧木揚場」を通って「木曳川」として北西に流れている。




















現在は水門が二つあり、一方は木の板の遮蔽板で手動のハンドルがついている。もう一つは鉄製のものでモーターを駆動させて上下させるもののようで、新旧のものが並んでいた。