2023年5月15日月曜日

13代藩主の能登巡見巡り(9)岡部家①

 3月15日に更新したブログの13代藩主の能登巡見巡り(8)喜多家③の続きで、その後同じ宝達志水町にある「岡部家」に行った。

13代藩主斉泰は、能登巡見巡り25日間の23日目に「荻谷村」今の「宝達志水町」にある「岡部家」に宿泊している。すなわち「喜多家」に宿泊する前日に宿泊している。


















「岡部家」の敷地は2万坪あり、荻谷集落のほぼ中央で、山を背にして建物が配置され、主屋正面は西に約40度振って南面する。建物は自家山林から取り出した木材を使っており、この期間を含めると7年の歳月を要したと伝えられている。用材の配置については、東側の部位は東側の山の木、西側の部位には西側の山の木と、四方位の区分まで考慮した建物であるという。
ここの門を見ると、周辺の農家と違っていかにも格式高い家柄であることが分かる。板塀の上に四角の抜穴を持った土壁、下方は石垣が積まれて、瓦屋根で、大正時代に修理されたと聞いた。


















瓦屋根に目立つ五福神が載っていて、柔和な表情を覗わせる。


















土台は亀甲型に組まれた戸室石である。


















「岡部家」は、一の谷の戦いで功績をあげた鎌倉幕府の御家人で、義経の北國落ちを聞き、この地に下ったという岡部六弥太忠澄を祖とするといわれ、「口郡十村土筆」や「喜多家文書目録」、岡部文書の「先祖由緒書上申書」(寛政4年:1792)などによれば、5代長右衛門は1694(元禄7)年に、12代七左右衛門は1819(文政7)年にそれぞれ十村役を仰せ付けられている。
入母屋造、平入、茅葺の現在の主屋は、1732(享保17)年、鳥屋町良川の大工ら6人が5年がかりで施工、1736(元文元)年に完成した。玄関は、大式台、式台、大戸と三つある。立派な茅葺屋根で、裾は瓦屋根なっており、先端には巴紋が入っている。


















主屋の平面図




















主屋の左端にある「大戸」から入ると、家族団らんの間だった広い「台所」の中央に囲炉裏と自在鉤がある。壁や天井は煙で黒々していぶされていて、質素な暮らしぶりが覗えるという。


















「十村役という重責だ型こそ日常生活は質素にしなければならなかった」といい、「一汁一菜を旨とする」などの家訓が残っているという。


















「大戸」の横には、「裁きの間」という部屋がある。農民たちのいさかいなどに断を下した裁きをした所であろうか。


















大広間から紅殻壁の「式台の間」や「四畳の間」、「サヤの間」などが見える。部屋の上の方は黄土色の壁に立派な柱や梁が張られている。


















上方を見ると黒ずんだ左右交互の梁の上に簀の子が貼られていて、天井板がない。囲炉裏で薪を燃やした煙により燻すことにより、この茅葺きを守っているという。


















「式台」から石畳があり、門に通じている。


















広間の梁の釘隠しは桃や扇などが模られている。