2023年5月6日土曜日

勝興寺 瑞龍寺見学ツアー(5)高岡古城公園  松風殿展

 勝興寺 瑞龍寺見学ツアー(4)瑞龍寺②の続きで、その後「高岡古城公園」で、1時間くらい自由散策となった。ここの桜は有名で、当初は桜を見るというツアーだったが、今年は桜の咲くのが早く、既に散ってしまっていた。

2代藩主前田利長公は1585(天正13)年から13年間二上山上にあった守山城の城主であった。1598(慶長3)年に藩祖利家公の後を継いで藩主となり、1605(慶長10)年には隠居して富山城に移った。しかし1609(慶長14)年3月の大火により城が消失したため、高岡に城を作った。縄張りはキリシタン大名であり、城づくりの名人として有名な高山右近と伝えられている。入城して5年後に利長公は亡くなり、1615(元和元)年の一国一城令により廃城となった。しかし、城跡は残り、町民から「古御城」と親しまれた。明治になって市民の力により「高岡古城公園 」として残り、今に受け継がれている。



















この古城公園 の中には、広い水濠がたくさん残っており、以前来た時には桜が満開の時には、大変きれいだったという記憶が残っている。


















水濠の中にいたの鳥は、園内の生き物の案内板の絵から「キンクロハジロ」か(?)


















高岡城があったころ、城内の飲用水として数か所のあったひとつで、家臣「今枝民部」も屋敷にあったもので「民部の井戸」と呼ばれている。この大事な井戸であったために屋形を建てて、当時の遺跡として大事に保存されている。
そういえば2代藩主利長が亡くなった後、「今枝民部」は金沢に戻り、高岡町(今の文化ホールの場所)に屋敷を構えた数少ない1万石以上の家老である。
























また、明治31年に北陸線が米原から高岡まで開通しているが、この蒸気機関車は昭和40年代に城端線と氷見線で活躍したC11217号で、高岡地方で早くからこの型の機関車が使われたという。












水辺に赤いツバキが咲いている。桜はもう葉桜となっている。



















以前巡った「高岡古城公園」のブログ











「高岡市立歴史館」では、高岡で誕生した高峰譲吉がアメリカのニューヨークに「日米親善交流館」として「松風閣」を建てているが、その関係資料が展示されていた。

高岡市ゆかりの彫刻家「村上九郎」作の繊細で、華やかな「曲ろく」(法要などで導師が座る椅子)

「村上九郎」氏は松風殿の調度品を多く制作している。この人は、納富介次郎の招きで石川県工業学校の彫刻科教師にもなっている。



















食堂天井画の「雉と鳩」(?)


















「牧野克次」筆の松風殿「松風の間」中二階天井画


















「牧野克次」氏の紹介 松風殿の室内装飾を手がけた人




















古い薬屋の「六神丸」の看板


















「タカジアスターゼ」の看板


















以前巡った「高峰譲吉」のブログ