2020年6月2日火曜日

姿を現した鼠多門 

いままで、建設中の金沢城の鼠多門のテントが外され外観が見れるということで、前回の「尾山神社 シャクヤク」を見た3日後(5月28日)に行った。
尾山神社の境内を通り、裏側の出入り口「東神門」近くにもいろいろな人の石碑が建っている。
「海江田一松の碑」(国鉄殉職者)



















河波有道先生碑(街の科学者)と細見綾子句碑(女流俳人)



















井村徳治顕彰碑(大和デパート2代社長)



















その先に木の階段と通路の先に「鼠多門」が見える。



















尾山神社側からは二つの階段とバリアフリーの通路から「鼠多門橋」へ行ける。



















「東神門」から道路に出ると、工事によるテントが外された「鼠多門橋と櫓」の全容が見えた。橋の下は江戸時代には堀だったが、現在は2車線の車道が走っている。



















このため橋桁が当時のものより高くしなければならないことから、耐震性を考慮して橋脚や橋桁はハイブリッド材(H型鋼とケヤキ)を使っているが、橋の通路はすべて木造である。



















この「鼠多門」は、江戸初期に創建され、明治17年に焼失するまで約250年間存続したもので、左右の石垣に挟まれるように高さ3mの門扉があり、石垣の上に2階建ての櫓がある。城郭建築では例のない黒い海鼠壁(平瓦が白でなく黒い漆喰で仕上げ)となっている。門に使われている木材は地元産の「能登ヒバ」と「ケヤキ」だという。



















 鉛瓦、白漆喰、黒海鼠壁のコントラストがなんともきれいだ。



















玉泉院丸庭園側から見ると、門をくぐって階段を上って庭園に入る。そしてこちら側に櫓の入口ある。中には復元階段と緩い勾配の階段と昇降機が設置されている。



















この「鼠多門」の復元により尾山神社から玉泉院丸庭園がつながり、「長町武家屋敷」から「兼六園」、「伝統工芸館」などの加賀藩ゆかりの歴史的回遊ルートが完成することになる。