玉泉院丸庭園の色紙短冊積み石垣付近の発掘調査報告会に行ってきた。(8月25日)この石垣は「見せる石垣」として、全国的にも珍しい貴重な石垣である。
今回は、「色紙短冊石垣」の右側の方を掘って出てきた石垣について「金沢城調査会」の人から説明を受けた。
玉泉院丸庭園は3代利常が作庭したもので、5代綱紀がこれを改修しているという定説は以前からあった。玉泉院丸庭園は、高低差が20m以上の立体的な庭園として全国的に見ても珍しい庭園で、非常に見どころがあると思っている。
今回約2mくらい掘った「色紙短冊積み石垣東面」とその奥の「納谷土蔵下石垣」について解説があった。
「色紙短冊積み石垣東面」は右手の方が正面と同じ「切り石積み」で、左手の方が「粗加工積み石垣」で構成され、17世紀前半に作成された、刻印のある石材が集中しているが、刻印による意匠的な効果を狙って、古材を再配置したと考えられという。
「金沢城調査会」のパンフレットより
刻印された「粗加工積み石垣」の最下段は表面が平たい(ノミ加工がない)4期製作の切り石古材が根石として転用されている。今回の発掘調査から改めて5代綱紀の大規模な改修で新設されたことが確認された。
奥の「納戸土蔵下石垣」は上部が切り石積みになっているが、下部は典型的な「金場取り残し積み」となっている。
「金沢城調査会」のパンフレットより
「金場取り残し積み」は粗加工石を転用して、正面を多角形に整形し、その周囲を平坦に整える一方、中央部をこぶ状に残した石材を用いた切り石積みの一種である。こういう積み方の石垣もあることから、庭園に取り込まれた石垣づくりを意識して作られたことが読み取れるという。
今回の発掘調査により分かったことは、一番下の基礎部まで17世紀後半の寛文年間のころだったことから、5代綱紀が江戸から金沢にきて間もないころに、玉泉院丸庭園のほとんどの石垣が作られたであろうということだ。玉泉院丸庭園の最初に作庭
されたのは3代利常であるが、5代綱紀が大改修を行ったことが確認できたという。(3代利常のころは低い石垣の上は土塁だったろうという)