2019年9月22日日曜日

金沢城 鼠多門復元工事見学

「色紙短冊積み石垣の発掘調査報告会」に参加した後、「玉泉院丸庭園」前で行われている鼠多門復元工事がどうなっているか見てきた。



















「鼠多門橋」は、江戸時代に「玉泉院丸庭園」と「金谷出丸」とを結ぶ城内最大規模の木橋である。創建時期ははっきりしていないが、江戸時代前期の17世紀中ごろに存在していたことが絵図などからで確認できるという。城内の建物がほとんど焼けた宝暦の大火でも焼失を免れ、修理を経ながら明治まで存在していたという。しかし1887(明治17)年の火災により焼失した。下図は金沢城復元画で有名な「末松智」先生の「鼠多門」の絵である。


「鼠多門」は、石垣の上に二階建ての櫓を備えた構造となっており、門をくぐって坂道を上ると玉泉院丸の敷地となる。城内の他の城門と同じく、屋根は木型に鉛で覆う鉛瓦である。壁の上の方は白漆喰であるが、腰壁は海鼠壁の瓦の目地には黒漆喰となっていて、他の金沢城の門とは違う。



















「玉泉院丸庭園」側から鼠多門復元工事見学台入口があり、そこから内部に入った。



















見学台のスペースは小さいが、ここでの工事の途中経過見学会の様子や梁や柱などの繋ぎの技術などが紹介されていた。



















見学のイベントがある日はたぶん建物の中に入れると思うが、今回は金網越しに土の壁や窓が見え、屋根は鉛瓦の内部の木材と屋根の先端だけが梅鉢紋が付いた鉛が見えた。これから鉛板を貼っていくのだろう。




























この復元整備については、古写真や絵図そして文献などを参考にし、発掘遺構と照らしながら設計されたという。来年の東京オリンピック前までには完成するというから楽しみである。



















ここの通りは現在車が走っているので、江戸時代ものより高くなるというが仕方がない。



















この橋が出来上がると、長町武家屋敷、尾山神社、金沢城、兼六園など加賀藩ゆかりの歴史的な回遊ルートができるので観光客も便利になることだろう。また、それに関連してかどうか南町に「観光案内所」を新たに作ると新聞に載っていた。「観光案内所」には、工芸の体験コーナーや外国人観光客に対応するために多言語もできるスタッフも置くという。