今回は急遽、懇意にしていた藤沢の叔母さんの様子を見に行くことになり、東京方面に出かけた。北陸新幹線に乗るのは、金沢に新幹線が開通した1か月後に乗っているので、約3年4か月ぶりになる。東京には12時近くに着く新幹線だったので、車内で昼飯を食べようと思い、金沢駅のホームで売っている「大友楼」の弁当を買った。弁当の包装紙に金沢の藩政期の古地図や西外惣構の香林坊橋、加賀鳶の絵図が描かれていた。
ぶりのつけ焼きや生麩、鱒ずしなどいろいろなものが少しづつ食べれてどれも大変おいしかった。
藤沢駅から江ノ電に乗り「鵠沼」まで行った。何年か前に叔母さん夫妻に案内され、江ノ電に乗って「江の島」や鎌倉大仏、長谷寺、鶴岡八幡宮などを訪れたのを思い出した。
「鵠沼海岸」は1889(明治22)年に日本最初の分譲型別荘地として開発されたが、当初はわずかだったという。ところが1902年に藤沢~片瀬に江の島間に江ノ電が開通してから盛んになったという。今は、閑静な住宅街となっているが、道が細く叔母さんのところに行くまでに随分道に迷った、久しぶりの再会の後、叔母さんから聞いた今でも神輿が出るという「賀来神社」に行った。ここの境内に「鵠沼海岸別荘地開発記念碑」があるのと、最近建ったサーフボード型の道祖神もある。
都内で1泊して次の日「東京駅」まで行き、「行幸通り」の下の地下道を通って「皇居」に行った。石垣の前に立派なお濠があり、白鳥が泳いでいた。ここは、ご存知の徳川幕府の江戸城が前身である。
今回は、何の計画も持たず来たので、予備知識がない。皇居に来たのはおそらく55年ぶりくらいかと思う。白い建物は、地図で見ると「桜田二重櫓」である。お濠には水草がいっぱい浮かんでいる。もっと向こうに大手門があり、そこから入った先に「天守閣跡」あるらしい。今回は時間がないので後日にしたい。
桔梗門付近の辰巳櫓(桜田二重櫓)。皇居参観へは桔梗門から入るで、「内桜田門」と呼ばれているが、昔、この門の瓦に太田道灌の家紋の桔梗が付いていたことから、その名前が付いているという。
「坂下門」には渡り櫓がある。宮内庁への入り口で、1862(文久2)年に和宮降嫁を実現させた老中安藤信正が、水戸浪士を中心とする尊王攘夷派の志士に坂下門外で襲われた事件があった「坂下門外の変」で知られている。
皇居といえば、この「二重橋」が何といっても最大のフォトスポットである。手前の石橋と奥にかかる鉄橋を総称して言う。江戸時代には、ここは土橋だったが、明治20年に現在のような美しいめがね型のアーチ状の石橋にした。その横にある建物は「伏見櫓」である。その奥に両陛下がお住いの「吹上御所」がある。
石橋の奥なる鉄橋
石橋の欄干のランプは豪華さを表している。石橋の先に正門があり、石垣と石橋、正門付近は非常に美しい。
明治時代初期の二重橋の写真
お濠道路の石畳には、各県の特徴を表した絵が描かれていた。