尾張町老舗交流館(1)の続きで、この館内には1888(明治21)年当時の尾張町商店街大店の銅版画図が貼られていた。現在でもある「山田時計店」や「三田商店」などが描かれていた。
下図には、これも現在でもある「油脂の森忠商店」や「薬種商の石黒伝六商店」、「お菓子の森八商店」などが描かれている。どの店も大きく、このころの尾張町商店街がいかに立派で大きな店が多かったかがが分かる絵図だ。
このブログの「旧今町」で紹介した洋館のレトロな建物のある衣類のボタンや糸、毛糸などの卸商の「村松商店」のチラシが展示されていた。これらは「引札」(ひきふだ)といわれ、広告用の木版・石版などのチラシで、めでたい図柄や縁起の良い七福神などを描いたものがあった。明治の中頃から大正時代に最盛期を迎え、その名残は昭和20年代まで続いたという。
現在も十間町にある紙卸商の「中嶋商店」のチラシの他に昔の銅版画図と現在の写真で建物が展示されていたが、ほとんど変わらないようである。
現在は「近江町いちば館」の1階にある「荒木紙店」のポスターがあった。私の子供ころには近江町の青草口の横にあり、よく画用紙や文房具などを買いに行ったことを覚えている。
続いて橋場町交差点付近まで歩くと、以前は古本が山のように積まれていた「古本屋」が改装されきれいな店に代わっていた。学生のころに本を持っていくと、どんな本でも受け取ってくれたが、店の人は多くの本で隠れて見えなかった記憶がある。
店内に入るときれいな洋書がきれいにに並べてあり、手軽に本を取って見れるようになっている。以前の店とはすっかり変わってしまった。ここの女性店員に聞くと3か月くらい前にオープンしたばかりという。最近は外国観光客が多く歩くようになったからであろうか?奥はシェアオフィスとして使えるようになっているという。
橋場町交差点の角には、面白い形状の1929(昭和4)年に建てられたというモダニズム建築の建物がある。元々は銀行だった建物の外観を当時のままの雰囲気を生かして金沢市が改修し「金沢文芸館」となった。銀行だったときは1階が天井の高い2階建てだったが、今は3階建てに改修されている。1階の長いアーチ状の窓からそれが分かる。
正面玄関はイオニア式角柱付け柱を左右に配した意匠で、金沢市内にほとんどなくなってしまった昭和初期の様式デザインで、その装飾がすばらしい。
エレベーターで3階に上がると「泉鏡花文学コーナー」となっていて、昭和48年に制定されてから、毎年、鏡花の名にふさわしいロマンの香り高い文芸作品が受賞作として選ばれているが、その作品がすべて揃っている。
3階の「文芸フロア」には、泉鏡花文学賞受賞者の作品や市民文学賞作品などが本棚に並んでいて、手にとってテーブル席でゆっくり読むことができる。
2階にはDVDコーナーがあり、五木寛之氏が金沢の町を歩いて感じたことなどが載っている「新金沢小景」や「百寺巡礼」などのDVDなどが置かれていた。後日、ここでのんびりDVDを見て金沢のいろいろなことを知るのもいいだろう。
他に、五木寛之氏の著作品、愛用品や記念品などが置かれていて、氏の文学の原点が金沢であり、金沢との関わりが分かるコーナーである。私も若いころに、随分、五木寛之氏の本を読んだものである。
1階は「交流サロン」として、文芸を愛する人たちが気軽に語り合える場となっている。