今回は、できたばかりの「玉泉院丸庭園」から聳え立って見える、本丸付け段にある「三十間長屋」に行った。
「三十間長屋」は、金沢城の中で「石川門」、「鶴丸倉庫」(金沢城土蔵)とともに、国の重要文化財に指定されている。
ここは、発掘調査から既に江戸初期の寛永期に創建されていたらしいが、その後宝暦の大火で消失し1858(安政5)年に、あの「安政の泣き一揆」があった年に再建された。この頃は、ペリーなどが来航した後で、幕末の対外的危機が増している時で、防衛上の必要性から再現されたという。
二重二階の多門櫓で、大屋根の形状は南側が入母屋作りであるが、北側は切妻造りとなっている。北側には宝暦以前のものは続櫓と繋がっていたので、同じように再現できるように屋根を切妻にしたという。
これまでは本丸附段側から見ることが多く、武具の倉庫というイメージであるが、裏側は全く別の要塞型になっていて、唐破風と千鳥破風の出窓が三つあり、睨みを効かせている。「玉泉院丸庭園」の休憩所からは、こちら方が見えるので城の庭園らしく見える。
ここの石垣積みは「切り込みハギ」の技法で積まれているが、表面の縁取りだけをきれいにそろえ、内側を粗いままにしておく「金場取り残し積み」という技法になっていて、金沢城内でも変わった技法を使っている。宝暦の大火後の石垣積みである。(6期)
中に入ると薄暗く、武具などの倉庫として使われ藩政期に建てられたことが偲ばれる。
金沢大学時代にはここの近くに図書館があり、蔵書の保管場所としても使われていたらしい。
大きな梁や柱がたくさん使われており、金沢城では数少ない藩政期の建物の中が見れた。
出窓のところには、下側には取っ手がついている部分を上げるとふたが開き、敵が攻めてきた時に石を落とし、出窓の引戸を開けて隙間から鉄砲で防御するという仕掛けになっている。
「三十間長屋」から見る「玉泉院丸庭園」が、高台から一望できるのですばらしい眺めとなった。
これまでは、人目につかないところにぽつりとあったが、これからはここを訪れる人も多くなるのではと思う。
本丸には、現在ある「三十間長屋」とは別に「本丸三十間長屋」があった。この長屋には鮎の塩辛のような非常食が備蓄されていて、別名「塩辛長屋」と呼ばれていたという。