天正8年に佐久間盛政が金沢御堂を攻めた際に、本願寺方の浪士の平野甚右衛門がこの坂で奮戦し、壮絶な討ち死にをしたことからその名が付いたという。
この辺りに、高山右近を頼ってきた内藤如安(じょあん)などのキリシタンが住んでいたといわれている。(高山右近は今の21世紀美術館辺りに住まいがあったらしい)
私が小学生の頃、ここで竹スキーで滑ったことを覚えているが、その頃には多くの同世代の子供たちが滑っていた。
そういえば、ごく最近、この辺りの茂みに熊が捕獲されたニュースがあった。金沢の町のど真ん中に熊が出没したと聞いてびっくりしたが、捕まってよかった。何しろ、これから観光客が多くなることだからということで、金沢市も急遽センサーなどを何箇所か取り付けたということだ。
その先の向かいに「大谷廟所」があるが、ここは本願寺8代蓮如の父の7代存如上人の遺骨が安置され、金沢市内ほか全国の門徒宗の遺骨が納められている。もとは金沢城内にあったが、明治14年に金沢城跡に陸軍が入ったときに、ここに移築されたという。
高山右近がここらに南蛮寺を建てたといわれている。(公園下辺りにも建てた)
また、藩政期には、ここに大猷院(だいゆいん)仏殿(家光廟)が建てられ、「神護寺」といわれていた。
この中に入ると、大きな木(何の木なのか?)と「手水舎」があったが、誰もいなくひっそりしていた。
通りの向かい側には、最近建て替えられた「金沢商工会議所」の立派な建物がある。以前の建物は、私が会社に行っている時にここでいろいろな講座があり、何度か聞きに入ったことがある。
ここでは、経営にかかわる情報、創業支援活動、仕事にかかわる各種検定や講演、講座などをやっている。
中の入ると職員の仕事風景が見え、ロビーも広々としていて、相談コーナーや喫茶コーナーもあった。特に私が興味があった「地域のパンフッレット」がたくさん置いてあり、金沢市内の観光地の情報や公共施設の催し物などを描いたものがあった。こういう所ももいろいろ活用できそうだ。