2014年9月10日水曜日

東北地方南部ドライブ(8) 旧山形県庁、山寺

東北地方南部ドライブ(7)の続きで、次の日、山形市のホテルから山形県郷土資料館「文翔館」に行った。ここには「 旧山形県庁」と「 旧山形県会議事堂」がある。
大正5年(1916)年に建てられた英国近世復興様式のレンガ造りで、昭和50年まで県庁として使われていたという。昭和59年には国の重要文化財に指定された。花崗岩造りの洋館で、中央にレンガ造りの時計台を載せ、2階にはバルコニーがあるルネッサンス風の立派な建物だ。




















中に入ると、重要な会議に使われたという会議室の内装は大変豪華で、大理石や飾柱や天井の彫刻、シャンゼリアなどは見事なものであった。








































知事室




















中央の階段もすばらしい。




















展示室に大正時代の県庁内の会計課の風景が再現されていた。




















「 旧山形県庁」の横に「 旧山形県会議事堂」の建物があった。




















建物内部の議場ホールもすばらしい。




















石川県の旧県庁(現しいのき迎賓館)に比べてずっと立派である。この差はいったい何なんであろうか?(山形県はどちらかといえばマイナーな県だと思っていたが)ここも戦災にあっていないんですね。

続いて「 旧山形県庁」から、車で30分くらいで松尾芭蕉も歩いたという「山寺」に行き、ご利益登山をした。
駐車場は土産屋の横にずらりと多くあったが、できるだけ山門に近いところに止めようと思ったが、どこに山門があるか分からず適当に入り駐車した。
まず、山門に入ってすぐの所に「立石寺」があり、悪縁切りのご利益があるという。




















ここには立派な鐘楼もあった。




















歩いていく途中に「四寸道」といって、二つの岩石が両側にせり出していて、一番狭いところは14cmしかないところだ。




















「せみ塚」は芭蕉の「静けさや 岩にしみいる せみの声」をしたためた短冊をこの地に埋めて供養した石の塚のことをいう。


























「弥陀堂」では、そり立つ岩肌に彫られた供養碑が頭上にあった。室町時代のものである。




















山門から奥の院までの中間点での仁王門の左右に仁王像が安置されていた。




















山のてっぺんにある奥の院まで約900段で、ようやくたどり着いたがかなり疲れた。右側が奥の院で左側が大仏殿である。よくここまで歩いたという事で入念にお参りした。




















絶壁の途中に建てられている「胎内堂」という建物は現在入れないらしい。




















「五大堂」に入るとビューポイントがあり、のどかな風景が一望できる。すごい高いところまで上ったなあという感じだ。




















ぼけ封じ「おびんずるさま」というなで仏があったので、入念になでて来た。




















この山寺を登る中学生や高校生くらいの生徒がこの日は多くいた。
帰りに車を止めたみやげ物屋でそばとアイスクリームを食べて一服した。疲れたのでおいしかった。

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