卯辰山の花菖蒲園から千杵坂を登ると、うっそうとした
木々が茂り、ひっそり静まりかえっている。
ここは最後の藩主 14代前田慶やすが卯辰山の開拓をした時に
建設したところで、、幕末の風景がそのまま残っているという。
開拓当初の頃のこの付近の絵図があるが、随分にぎわっていたようだ。
(四季こもごもより)
千杵坂を上り次の坂の脇に安達幸之助の墓があった。
二の坂を上ると、招魂社記念碑があった。
ここは北越戦争、西南の役、日清、日露戦争の殉職者が祀ってあったが、
昭和10年に出羽町の護国神社に移された。
「小川隊」という墓があったが、いつの戦争の殉職者の墓であろうか?
一の坂を上ると卯辰三社の卯辰神社、愛宕神社、豊国神社がある。
卯辰神社は兼六園の竹沢御殿から遷座され天神様と呼ばれていた。
愛宕神社は武門の神が祀られている。
豊国神社は豊臣秀吉を主祭神とする。
平日の午後であったが、数人の人が観に来ていた。
車の通る道路を渡り、階段を上ると津田米次郎の銅像がある。
津田米次郎は日本で初めて羽二重を織る力織機を発明した。
これができるまでには、失敗の連続で大変苦労したという。
脇の階段を上って、車道に出るとその傍らに清水誠の顕彰碑がある。
清水はマッチ産業の父として有名であるが、若いときに加賀藩の命で
フランスに留学し、いろいろな機械の見学やフランスの生活ぶりを記した
ものを残した
徳田寿秋著の「海を渡ったサムライ達」のなかに詳しく載っている。
以前、私も読んだが、その頃のフランスの様子がよく分かり、たいへん
面白かった。
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