今回は、前日に新聞に彦三緑地のつつじが見ごろであると
載っていたので、見に行った。
彦三大通りを渡って歩いていくと「旧桶町」の標柱が建っていた。
桶町の由来は、藩政期の初めに藩の御用を勤める桶職人たちが
屋敷地を与えられ住んでいたからという。
その先をまっすぐ歩いて、少し行って左に折れると、彦三緑地があった。
彦三緑地に入ると多くの方がカメラを持って、つつじと牡丹を見に来て
いた。さすが新聞の力はすごいなあと思った。
介護を必要とする人が、付き添いの人と一緒に来ている人も多く
見かけた。
こういう天気のよい日は、部屋に閉じこもっているより、戸外に出て
きれいな花を観賞するのもよいと思う。
ここのつつじと牡丹を何度か見に来ているが、たいへんきれいで
見ごたえがある。牡丹は大きな花の赤、白、紫などがあり、つつじも
赤、ピンク、白など多くの種類の花が咲き誇っていた。
同じ見物人から「この花は牡丹ですね」と聞かれたので、「そうです」と
答えたら「じゃあ石楠花はどんなですか」と聞かれ「わからない」と答えて
しまった。こういう花を見に来るからには、もっと勉強をしなくては。
ここは、もともと加賀藩士の遠田家の屋敷である。
4代目のつつじの作庭をした自省(みより)という人が前田吉徳の時代に
大少将から人持組になったという。遠田家は代々藩の重職に就き、明治
を迎えた。
彦三緑地の向かいには、やはり藩士の野坂氏の屋敷があり、長屋門に
つらなる土塀など旧態をよく残している。
彦三町の由来は、この地に通称彦三と称する不破家の上屋敷を構えていた
からという。
もともと不破家は前田利家とともに信長に仕え、越前府中で33,000石を
領した大名でしたが、後に前田家に仕え、4,500石の人持組で活躍したという。
彦三町は金沢市の中心街に近いにもかかわらず、閑静な住宅地である。
現在でも、長らく住宅地での土地の公示価格が、金沢市の中でトップクラスである。
今回の散歩時間 1時間30分、4,300歩でした。
より大きな地図で 彦三緑地 を表示
2013年5月9日木曜日
2016年5月7日土曜日
旧母衣町界隈 彦三緑地2016
今回は、彦三緑地のツツジが見ごろということで、旧母衣町界隈を歩いた。(5月1日)
新町から小橋方面を歩くと最初の四つ角に土塀をもった屋敷がある。
この辺は、昭和2年に大火があったがここだけは残ったという。200石の侍で新番組御徒小頭を勤めた「野坂邸」という加賀藩士の家である。1830(文政13)に屋敷替えにより現在の家に移り住んだという。建物はそれ以前の文化のころにできたものと推定されるという。、母屋、長屋門、土塀は当時のものだという。長屋門、土塀の役石は戸室石を用いた旧来の玉石積みである。修繕はあったものの旧態をよく残している。
母屋の座敷と仏間の間にある丸窓は、金谷御殿を解体する際にもらい受けたものであるという。(当時、金谷御殿の御用達人だった)現在は金沢市指定保存文化財である。ここの中は、武家屋敷の茶の間、居間、座敷、仏間など特徴をよく残しているということであるが、現在も普通に生活しているので見ることはできない。
「野坂邸」の斜め向かいに以前にも入ったことがある「彦三緑地」がある。ここは、藩政期には1350石の「遠田家」の屋敷であった。
http://kanazawa-burari.blogspot.jp/2013/05/blog-post_9.html
この日(5月1日)はツツジが見ごろできれいに咲いていた。私はツツジとサツキの違いはよく分からなかったが、開花時期がツツジが4月~5月上旬であるが、サツキは5月~6月ぐらいだという。
深紅のツツジはキリシマツツジか?
「ヤマツツジ」は朱色で一重咲きである。
花びらの中心が濃いピンクで周りが淡いピンク色の「アケボノツツジ」
ピンク色の「コマチ」は、あの美女として名高い「小野小町」にちなむ名前であろう。
そのほか多くの種類のツツジが咲いていた。
その後、旧母衣町を歩き浅野川方向に行くと、右手の紅殻色に町家を改造した2階に「素都」というカフェがあったので、そこに入った。
テーブル席には「ひがし茶屋街」より、静かなこちらのほうが好きだというお客さんが座っていたし、カウンターには近所の常連さんが座っていて、ここのママさんとずっと話をしていた。以前はパーマネントの店だったが、町家を改造してカフェにしたという。
町家を改造するにしても、「行政は外観の1/3だけを助成してくれるが、内装は自分たちでやらなければならない」と言う。行政は古い傷んだ町家の修復を勧めているが、一筋縄ではできないということだ。
本なども並べられており、のんびり本を読んで過ごすのもよい。テーブル席や奥の畳の部屋からは「彦三緑地」のツツジが眺められる。
ちなみにここは、夜には「BAR長屋」となり、雰囲気もがらりと変わるという。
新町から小橋方面を歩くと最初の四つ角に土塀をもった屋敷がある。
この辺は、昭和2年に大火があったがここだけは残ったという。200石の侍で新番組御徒小頭を勤めた「野坂邸」という加賀藩士の家である。1830(文政13)に屋敷替えにより現在の家に移り住んだという。建物はそれ以前の文化のころにできたものと推定されるという。、母屋、長屋門、土塀は当時のものだという。長屋門、土塀の役石は戸室石を用いた旧来の玉石積みである。修繕はあったものの旧態をよく残している。
母屋の座敷と仏間の間にある丸窓は、金谷御殿を解体する際にもらい受けたものであるという。(当時、金谷御殿の御用達人だった)現在は金沢市指定保存文化財である。ここの中は、武家屋敷の茶の間、居間、座敷、仏間など特徴をよく残しているということであるが、現在も普通に生活しているので見ることはできない。
「野坂邸」の斜め向かいに以前にも入ったことがある「彦三緑地」がある。ここは、藩政期には1350石の「遠田家」の屋敷であった。
http://kanazawa-burari.blogspot.jp/2013/05/blog-post_9.html
この日(5月1日)はツツジが見ごろできれいに咲いていた。私はツツジとサツキの違いはよく分からなかったが、開花時期がツツジが4月~5月上旬であるが、サツキは5月~6月ぐらいだという。
深紅のツツジはキリシマツツジか?
「ヤマツツジ」は朱色で一重咲きである。
花びらの中心が濃いピンクで周りが淡いピンク色の「アケボノツツジ」
ピンク色の「コマチ」は、あの美女として名高い「小野小町」にちなむ名前であろう。
そのほか多くの種類のツツジが咲いていた。
その後、旧母衣町を歩き浅野川方向に行くと、右手の紅殻色に町家を改造した2階に「素都」というカフェがあったので、そこに入った。
テーブル席には「ひがし茶屋街」より、静かなこちらのほうが好きだというお客さんが座っていたし、カウンターには近所の常連さんが座っていて、ここのママさんとずっと話をしていた。以前はパーマネントの店だったが、町家を改造してカフェにしたという。
町家を改造するにしても、「行政は外観の1/3だけを助成してくれるが、内装は自分たちでやらなければならない」と言う。行政は古い傷んだ町家の修復を勧めているが、一筋縄ではできないということだ。
本なども並べられており、のんびり本を読んで過ごすのもよい。テーブル席や奥の畳の部屋からは「彦三緑地」のツツジが眺められる。
ちなみにここは、夜には「BAR長屋」となり、雰囲気もがらりと変わるという。
2017年2月19日日曜日
彦三町界隈 金沢町屋巡り(1)
今回は、フードピア金沢 2017として「金沢町屋周遊ツアー」の「彦三町界隈ツアー」に参加した。(2月11日)「彦三緑地」に集合で、約十数人が参加した。この日は数cmの雪が積もった後で、かなり寒い日となった。予定通り10時30分に出発した。
この町は、加賀藩の重臣「不破彦三」とその家臣が住んでいたのでその名が付いたという。2,3年前までは、土地の公示価格で金沢市の住宅地のトップだったかと思う。新幹線が金沢まで開通したことにより、駅前の本町の方にトップは譲ったはずだ。武蔵や近江町市場に近く、買い物が便利だし、閑静で住みやすい場所なのだろう。

この辺りは、昭和2年の「彦三大火」があった所で、ほとんどがその後に建てかえられた町屋(昭和25年以前に立った家)として風格のある家が多い所である。
この家も武家系の近代和風住宅の立派な家である。
この中に、今春オープンするという彦三町の小路にある1棟貸しの町家宿が2軒並んで建っている。右を「金の間」、左を「銀の間」の家と呼んでいる。
小さな庭とベランダが付いている。庭でのバーベキューなどできるようになっている。
食事は付かないが、コンロなど台所が完備されているので、自分たちで作るのもよし、近くへ食べに行くのでもよい。近江町市場や食べ処が近いので何ら問題はない。
値段は4~5名で泊まって7,8000円/人くらいだと言っていた。多くの人数で泊まればそれだけ安くなる。
「金色の壁」に金魚が描かれた部屋や「紅殻色」の壁の部屋などがあり、これから外国観光客が多くなるということで、こういうきらびやかな純和風の所で泊まりたいだろう。「暮らすように泊まる」というのがキャッチフレーズだ。
隣の「銀の間」の近代和風住宅の玄関
こちらには「銀色の壁」に金魚が描かれた部屋や「群青色」の壁の部屋がある。これから外国観光客がどれだけ利用するのか興味がある。
こちらは、近代和風住宅に洋風の建物がくっついている。こういう建物も昔よく見かけ、医院などが多かったが、ここは何だったのだろうか?
この町は、加賀藩の重臣「不破彦三」とその家臣が住んでいたのでその名が付いたという。2,3年前までは、土地の公示価格で金沢市の住宅地のトップだったかと思う。新幹線が金沢まで開通したことにより、駅前の本町の方にトップは譲ったはずだ。武蔵や近江町市場に近く、買い物が便利だし、閑静で住みやすい場所なのだろう。
この辺りは、昭和2年の「彦三大火」があった所で、ほとんどがその後に建てかえられた町屋(昭和25年以前に立った家)として風格のある家が多い所である。
この家も武家系の近代和風住宅の立派な家である。
この中に、今春オープンするという彦三町の小路にある1棟貸しの町家宿が2軒並んで建っている。右を「金の間」、左を「銀の間」の家と呼んでいる。
小さな庭とベランダが付いている。庭でのバーベキューなどできるようになっている。
食事は付かないが、コンロなど台所が完備されているので、自分たちで作るのもよし、近くへ食べに行くのでもよい。近江町市場や食べ処が近いので何ら問題はない。
値段は4~5名で泊まって7,8000円/人くらいだと言っていた。多くの人数で泊まればそれだけ安くなる。
「金色の壁」に金魚が描かれた部屋や「紅殻色」の壁の部屋などがあり、これから外国観光客が多くなるということで、こういうきらびやかな純和風の所で泊まりたいだろう。「暮らすように泊まる」というのがキャッチフレーズだ。
隣の「銀の間」の近代和風住宅の玄関
こちらには「銀色の壁」に金魚が描かれた部屋や「群青色」の壁の部屋がある。これから外国観光客がどれだけ利用するのか興味がある。
こちらは、近代和風住宅に洋風の建物がくっついている。こういう建物も昔よく見かけ、医院などが多かったが、ここは何だったのだろうか?
2025年5月13日火曜日
大乗寺公園 兼六園などのツツジ
今回は、ツツジが盛りを少し過ぎたかもしれないが、各地で見事に咲いていたので掲載する。(5月9日)
まずは大乗寺公園は、白やピンク、赤などグランドの周りがツツジで埋め尽くされていて、今年もいつもながら素晴らしい眺めである。ツツジを見ながら何人かの人たちが散歩していた。
白の花弁に中央がピンク色
こちらは紫のツツジ
ツツジの絨毯越しに金沢市内の眺望がよく見えてすばらしい。
随分前に見に行った「彦三緑地」のツツジ・牡丹
桜の木にはよく見ると小さな実がなっていた。
「花見橋」付近のツツジ
霞ヶ池の「蓬莱島」付近のツツジ
その横に白いツツジ越しに「内橋亭」が見える。
新緑の木々が生い茂る「黄門橋」付近には珍しく朱色の花が咲いているが「サツキ」か(?)
「時雨亭」付近にあった白い花は「シャクナゲ」か(?)
「広阪」の坂の途中に見えたツツジ
街路樹のツツジは、きれいに直方体に剪定されている。
2021年6月19日土曜日
昌永町・京町界隈(2)
昌永町・京町界隈(1)の続きで、その後「彦三大橋」から浅野川沿いの右側の道を歩いた。すぐに「中島用水」の標柱があった。「元禄11年 藩命により完成されたといわれる用水で かっては旧中島町の浅野川岸から取水していたのでこの名が付いた」とあった。
取り入れから少し先だけ開渠となっているが、「広誓寺」前付近はずっと暗渠となっている。
ある家の裏庭には草木がいっぱいで、さらに大小の灯篭や石などが所狭しと置かれていたは、造園業の庭であろう。
幕末の頃には、「中の橋」と同じように「一文橋」の木橋があったらしい。その木橋は何度も流失している。
大正時代に「昌永橋」が開通したときの祝いで多くの人が集まった写真
東大通に戻ると、通りに面して町屋風の建物に大きな薬局があった。店前にいろいろな商品のポスターが貼られていて、私もちょっと使いたいと思うようなものがあったので、店の店員に値段を聞いたら、あまりにも高いのでやめた。
また、ここからは「中島用水」が開渠になっていて、北陸鉄道を超えて「城北水質管理センター」を巡るようにして流れ、あとは農業用水となって、磯部、松寺町地内を流れて「大宮川」に合流している。高架橋の手前を左に曲がると「応化橋」に出る。右に曲がると「乙丸陸橋」の方面になる。
また「中島大橋」に戻ると、下流側に「応化橋」と北陸新幹線の高架橋が重なって見える。
登録:
投稿 (Atom)