2023年7月25日火曜日

三国湊レトロな街並み(1)

「吉崎御坊跡」を見た後、南西方面に20km走ると、「えちぜん線」の「みくに」駅がある。この近くにレトロな街並みが残る場所があるということで見に行った。この辺りは、福井県一の大きな川「九頭竜川」の河口に位置する場所で、古くから 「三国湊」は、九頭竜川と支流の「足羽川」などを使った水運による物流の拠点として栄えた。「一乗谷の朝倉氏」や北ノ庄の「柴田勝家」も荷揚げ用としてここを使っていた。また江戸時代中期からは「北前船」が始まり、関西から北海道までの物品が集まり、物流の一大拠点としてにぎわい、湊町には北前船を所有する廻船問屋が発展し、いろいろな物品を販売する商店などが並び、町は大きく発展した。明治時代も続いたが、鉄道が開通し、物流が船から鉄道に移行し次第に衰退していった。

三国湊は、北前船が残した歴史や文化の名残が格子戸が連なる街並みなどが残っている場所である。

























三国まつりが毎年華やかに行われ、上図は多くの町会でその山車を持っている配置図で、この建物は一つの町会の山車の格納庫である。























近くにあった「和泉金物店」に入ると、以前からやっている金物よりも、面白い手作りの民芸品の置物やこの辺りで得られる材料で手作りのいろいろな楽器(笛やウクレレ、ドラムなど)を作ったものが並べられていた。ウクレレの弦を弾いてみると結構いい音が出た。ここの女主人は、この民族楽器を使って「近所の人たちとのメンバーで練習していて、たまに演奏会を開いている」と言っていた。楽しそうだ。

































こちらの店の前には「畑 潤章の生家」の石柱が建っていた。福井県郷土工芸品認定店で創業寛永3年からの「三国提灯のいとや」という店だ。


















江戸時代は、絵画や俳句の有名な人がこの店をやっていたが、大正時代からは提灯を作り、販売する店になったと描かれている。


















大正・昭和の初期は多くの需要があっただろうが、需要が少なくなった現在でもやっている数少ない店であろう。提灯を製造するとき型と竹ひごを用い手作業で形を作り、絵付けは手描き、乾燥は天日で行う。

「わらび餅・甘林堂」の看板が古風な町家は、1719(享保4)年創業の菓子店である。わらび餅は地元産の小豆と大豆,砂糖を使いシンプルながら奥深い味だという。店内には茶房「鶯花」あり、こだわりの甘味とお茶を頂くことができる。


















2階が黒漆喰が塗られたこの大きな町屋は、骨董書画や古美術品を販売している「大木道具店」で、1,2階とも豪快で古風な店である


















ここのウィンドーに飾られていた屏風の水墨画には、北前船とレトロな蔵が立ち並んだ三国の街並みと高台にあるランドマークとなっている「龍翔館」が描かれていた。















この「龍翔館」は、えちぜん鉄道の「三国駅」を跨いだ高台にあり、白亜の5層8角の楼閣のような建物で、1892(明治12)年に三国湊の性海寺近くに建てられた擬洋風建築の龍翔小学校の外観を模し鉄筋コンクリート造りで復元し、1981(昭和56)年に開館した郷土資料館みくに龍翔館である。地元ではその尖塔部分の姿から「こうもり傘小学校」として親しまれたという。