2023年7月16日日曜日

吉崎御坊跡(3)御山

 吉崎御坊跡(2)東別院 願慶寺の続きで、さらに階段を上っていくと、山の上に広い平らな丘がある。ここは御山と呼ばれていて、蓮如が大伽藍を建て築いた場所であるが、現在は東西本願寺の共有地となっている。



















この広い高台は、一面苔庭が広がり木々が生い茂っている。


















すぐ近くに「児玉尼のお墓」がある。蓮如上人の4子二女で、上人の吉崎御坊の建立をきき父の下へ馳せ参じたが、まもなく病に伏して1年余りで亡くなった。蓮如上人は児玉尼を荼毘にふす前夜に不思議な夢を見られたことを御文に書き残しているという。児玉尼享年26歳。蓮如上人には、27人の子供がいて男13人、女14人であった。



















さらに行くと「本光坊了顕のお墓」がある。蓮如上人の弟子の一人。文明6年の大火の際に、本堂に取り残された親鸞聖人自筆の「教行信証」6巻の1巻を、燃え盛る本堂の中に入り見つけはしたが持ち出せないと判断し、自らの腹を切り裂き、その中に隠し入れて火から守った。焼け跡から見つかった本光坊のお腹から、赤く染まっていたが無事燃えずにに発見された。それを見た蓮如上人は感嘆され、本光坊の赤い血を忘れてはならないとして、お経の本の表紙を朱色にしたといわれている。現在この「教行信証」は「国宝」に指定されている。































さらに「御手植えの御花松」は、ある時蓮如上人が本堂の飾りの御花松を地面に刺したところ、その松の小枝に値が付いてすくすくと育ったといわれた。元の松は枯れてしまったが、その後2代目の松が植えられた。































「朝顔に つるべとられて もらい水」で有名な加賀の千代尼が懇願の吉崎詣でを果たし感嘆して詠んだ句「うつむいたところが うてなや すみれぐさ」の句碑がある。
























高台からは北潟湖から日本海に流れる川があり、北潟湖の向こうには家並みと低い山が見える。


















さらに向こうは日本海が見える風光明媚な場所である。


















この御山のシンボルが、1934(昭和9)年に多くの門徒からの寄進で建てられた蓮如上人像である。この像は、上野公園にある西郷隆盛像を手掛けた彫刻家・高村光雲で、楠木正成像とともに光雲の3代名像のひとつといわれ、戦争時の金属供出令にも逃れた戦前戦後を通じて国内に残った銅像としては貴重な存在となっている。だいのたかさが7m。像の高さが5mある。